あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

丹生部隊の最期

2019年04月16日 13時27分33秒 | 丹生部隊


緊迫した一日が過ぎ、
中隊はその夜新築中の国会議事堂に移った。
張廻らされた塀の入口の所にくると、フト人声が聞こえた。
暗いので姿が判然としないが、民間人のようだ。
その男の人は我々に向って、
「この人たちは生神様です。この人たちは生神様です」
と お題目でも唱えるかのごとく口ずさんでいた。
我々の行為を感謝でこたえているらしい。

構内の庭に集合した我々は、
 ここで丹生中尉から我々の蹶起が天聴に達せられたことや現在までの状況を聞かされた。
それによると我々は今後、戒厳司令官の指揮下に入り、
 戒厳部隊として引続き 現在地の警備に任ずることになったのであるが、
これは今日一五・三〇布告された陸軍大臣告示によるものであった。
丹生中尉の話が済んでから議事堂に入ったが、
未完成でとても宿営などできないので、一時間後山王ホテルに移った。
すると間もなく聯隊から食事と小夜食が届いた。
ここにおいて我々は、初めて今朝からの行動が正当なものであることを認識したのである。
以降中隊はホテル外周の警備についていたが、
二十八日午後から事態が変化し、いつしか戒厳部隊から反乱軍となり、
鎮圧軍から討伐を受ける運命に追込まれていった。
全員夜になって白ダスキをかけた。
そして志気を鼓舞するため軍歌を歌った。
ラジオが何かを放送しているが、ガーガーとゆう雑音が多くて意味が皆目わからない。
いよいよ二十九日の早朝になった。
鎮圧軍が攻撃してくるとの情報を受けたので玄関前に配属されたMG二銃を配し、
小銃分隊はあかるくなってから各解の窓辺に散開させて戦闘に備えた。
しかし発砲は相手が撃ち出したら応射することになっていた。
この間 丹生中尉の所には部外者が交互にやってきては盛んに説得を行っていた。
時には同期の将校らしい者がきて泣きながら訴えていた。
「 帰ってくれ、とに角 帰隊してくれんか、頼む!」
二人の間には憎しみはなく、真に同期生らしい友情と友をかばう暖さが塧出していた。
側で見守る私にとってそれはあまりにも劇的なシーンとして目に映った。
しかし丹生中尉の決心は固く、あくまで初志貫徹の気持を崩さなかった。
中隊では前夜に引続き志気高揚を持続するため軍歌を高唱していたが、
鎮圧軍の包囲網がジリジリと狭められる中の軍歌は悲壮に満ちた。
相手はまだ発砲しない。
このようなとき若しいずれかで暴発が起きたらどんな事態になるだろうか。
丹生中尉は来訪者との話合いが終わるとすぐ席を立ちどこかへ行き、
又 戻ってくるという忙しさだったが、次第に激怒を高めていった。
「 奉勅命令が出ているそうだが、我々はそんなものみておらん、
 伝達せんでおきながら奴等はそれを楯にとり、我々を逆賊と決めつけ討伐するとは以ての外だ。
やるならやってみろ!」
この憤怒と燃える気持ちは恐らく蹶起将校全員 否!全将兵に共通する口惜しさであった。
これでは如何に説得しても応ずる筈はない。

八時頃私は一人で電車通りに出てみた。
別に目的はなく いわば状況偵察である。
すると
山王ホテル前の都電の軌道上で安藤大尉 ( 歩三、第六中隊長 ) がアグラをかき、
伊集院少佐 ( 歩三、第二大隊長 ) とやり合っているのが目にとまった。
( 安藤中隊もホテルに集結していた )
少佐は安藤大尉にこんこんと説得していたが、
どうしても応じないので業を煮やし、
やがて大声で、「 ブッタ斬るゾ ! ! 」 と 叫び軍刀を抜く構えをみせた。
すると安藤大尉はそのままの姿勢で腕を組みながら、
「 フム、斬るなら斬ってみろ 」 と 叫び、
その直後、
「 俺も只じゃー斬られねーえ 」 と いいながら立上った。
その時安藤大尉の部下五名 ( 下士官二、兵三 ) が にわかに拳銃と小銃を少佐につきつけ、
「 中隊長殿を斬るなら斬ってみろ ! 」
正に一触射殺の構えをとった。
次の伊集院少佐の言動如何では立ちどころに銃弾が飛出すかも知れない。
私は安藤中隊の団結の固さに思わず目を見張った。
すると同時にこの様子を見ていた鎮圧軍の中から兵隊が二名飛出してきて
少佐の腕をとり、引きずるようにしてつれていった。
ホッとしたあと今度は旅団長がやってきた。
「 安藤落ちつけ・・・・・落ちつけ・・・・・お前たちのいうことはよく解った 」
その時大尉は落ちる口惜し涙を拳で払いながら、
「 閣下、軍幕にはまだ斬らねばならん者が大勢おります 」
「 判っとる、判ったぞ安藤・・・・・」
両者の話はなお続いたであろうが、私はその場から引きかえしてホテルに戻った。

〇九・三〇頃、
それまで続けられていた説得によって
丹生中尉は遂に情勢を判断し中隊の原隊復帰を決定した。
我々は早速後片付けと整理を済ませてから軍装を整え指定された電車通りに整列した。
するとそこへ戦車がやってきて一名の将校が降り我々に近づき、
「みんな聴いてくれ、俺たちは討伐にきたのではない。俺の姿を見てくれ」
といって丸腰を示した。
「このとおり武装はしていない。
早く原隊に帰ってもらいたいことをいいにきたのだ。どうか判ってくれ」
その将校は泣いていた。
皇軍相撃を回避する配慮が如実に窺える。
鎮圧軍の方もつらい立場に立っているのだ。
我々はジッと様子を見ているとその将校は、
「 これを読んでくれ、そして一刻も早く原隊に帰ってもらいたい 」
といいながら目の前でビラを撒いた。
これが我々が初めて見た 「下士官兵に告ぐ」 のビラである。
早速拾って読んでみると、
「 下士官兵に告ぐ、
 帰る者は許す、抵抗する者は逆賊であるから射殺するゾ、
皆の父母兄弟姉妹は逆賊となるのを泣いているゾ 」
一字一句きびしい内容だったためか、私は今もこの文章が脳裡に焼付いている。
そこへ丹生中尉が戻ってきて ビラを捨てろと命令したので全員はすぐその場に投げ捨てた。
中尉の表情は何かを決したかのように冷静だった。
早速中尉から訓示が行われたが、
その内容は参加者に対する謝意と簡単な状況説明だったが、
言葉のすみずみに無念の感情を彷彿とさせるものがあった。
中尉もやはり血の通った人間であった。
この期に及んで冷静でいられる筈はなかったのである。
我々は自発的に武装を脱いだ。
小銃を大通りに一列に叉銃し、LG ( 軽機関銃 ) を一端に置き、あとの一切を鎮圧軍に委ねることにした。

この時、
香田大尉が軍服の上衣を脱ぎ
「 殺すなら殺してみろ」 
と 狂乱の如く絶叫しながら
我々の整列した近くから
鎮圧軍の包囲網をめがけて
単身、電車通りを突進していった。
その後どうなったかは不明だが
緊迫した雰囲気が私の眼前でアリアリと展開し
何か胸迫るものを覚えた。
かくして我々は
ここで丹生中尉と別れ
下士官兵は神谷曹長の指揮で原隊に帰った。

二・二六事件と郷土兵
蹶起将校の身辺護衛
歩兵第一聯隊十一中隊 軍曹 横川元二郎 著から