あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

陸相官邸 二月二十六日午前九時

2019年04月02日 05時49分55秒 | 丹生部隊

時は昭和十一年二月、私は当時現役兵で、
東京赤坂歩兵第一聯隊重機関銃中隊の一兵士として勤務しておりました。
丁度一月十日に初年兵が入隊してきて、私は初年兵教育助手の上等兵でした。
若さにまかせ張り切って任務についておりました。
当時聯隊は、近く満洲に派遣される予定になっており教練も力を入れておりました。
私達の中隊長は陸軍歩兵大尉小澤政行殿 ( 35期 ) でありました。
中隊長はどっしりとした体格で士官学校出身で生粋の軍人であられ、
部下思いで中隊内の部下は皆 父の如くお慕い申しておりました。

歩一・機関銃隊

たまたま、昭和十一年二月二十六日 二時頃非常呼集が発令せられ武装した実弾が交付されました。

今まで非常呼集で実弾の渡された事はないのでおかしいと思い 変な予感が胸をよぎりました。
当時中隊長は営外の自宅に帰っておられて中隊長留守中の事でした。
指揮は中隊付将校が栗原安秀中尉、林八郎少尉、それと第一中隊より参加された池田俊彦少尉でありました。
約三百名位の中隊全員が営庭に整列しました。
隊員の半数は小銃の編成となり
重機関銃は第一から第九までの分隊となり、私は第八機関銃分隊長を命ぜられました。

栗原中尉は部隊の中央に立ち
「 皆は私の命のまま動いて貰いたい 」 と短い訓示をし

私達の見知らぬ将校下士官を数人紹介したのを覚えております。
そして小銃の隊から先に長い列となって営門を出て行きました。
 
蹶起後の歩兵第一聯隊正門

その日は一昨日降った大雪が三十センチも積って白一色の雪明りの中でした。

雪に足をとられないように注意しつつ北の方に向って進んで行きました。
私の分隊は長い列の後尾の方でしたが首相官邸の西側の高い塀の外まで進むと、
先頭の小銃部隊が既にこの官邸内に突入したらしく中から小銃と拳銃のはげしく撃ち合う音が聞こえて来ました。
ガラスや物などのしきりにこわれる音も聞こえて来ました。
私は初めて容易ならぬ事態となったことを知り、
かくなる上は好まずとも ただ上官の命ずるまま行動する以外はないと覚悟をきめざるを得ませんでした。
官邸の表門まで進んだ時 命令が来て 私の第八分隊と第九分隊 ( 分隊長小澤上等兵 ) のニケ分隊は
私の隊の後に続いて来た歩一第十一中隊 ( 指揮官 丹生誠忠中尉 ) の小銃中隊の指揮下に入ることになりました。
そして此の隊は そこを更に進んで陸軍大臣官邸を襲い、これを占拠したのであります。
当時の陸軍大臣は川島大将でありました。
私達の重機は官邸門前の道路に銃を据え 外部からの攻撃に備えて警戒に当りました。
又 雪が降り出し 寒さがひどくなりました。

   
磯部--片倉 状況図・・人の記憶は 種々
同日朝九時頃となり
此の官邸に平常勤務する将校、下士官、事務官等 二十名位がだんだんと集って来て、

歩哨線をこえて官邸の正門に入ろうとしました。
その時 占拠部隊の一将校が出て来て
「 只今非常事態が発生しております。中に入ると危険です。どうぞ今日はこのままお帰りいただき度い 」
と 丁重な口調で制止しましたが、
先頭に立った一少佐が威猛高に言いました。

「 貴様、何を言うか。吾々は天皇陛下の命により当官邸に勤務する者だ。
 陛下の御命令もなく此所へ入るを拒むとは何事だ。どけどけ 」
と 無理に入ろうとしましたその時です、
突然 バンバンバンと占拠将校の拳銃が火を噴きました。

弾丸が少佐に当り 少佐はバッタリ雪中に倒れ 顔面から血がふき出し雪を染めました。
少佐の部下達が驚いてかけ寄り 抱き起こし タオルを傷口に当て
「 早く 早く 」 と 車を呼び病院に行くのを目の当たりに見ました。

その後へ兵を満載した二台のトラックが入って来ました。
其の中の或る若い少尉 ( 安田少尉 )
血だらけのズボンをタオルで結んで 足を引きずるように下りて来ました。

何処か襲撃して負傷したらしいが
「 成功 成功 」 と悲壮な叫びをあげていました。


2.26事件の謎  新人物往来社
歩兵第一聯隊機関銃隊 上等兵  町田文平
『 中隊長留守中非常呼集 』 から