あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

靑年將校と政治問題

2017年01月23日 20時17分21秒 | 『 天皇と叛亂將校 』橋本徹馬


左に掲げる一文は、
昭和九年二月 ( すなわち、二・二六事件に先き立つこと二カ年 )、
当時の国情を憂えた紫雲荘が、新聞紙上に公表したものであるが、
その頃の軍部と国政との関連について、参考となる点が多いと信ずるので、
ここにその全文を再録する次第である。

青年将校と政治問題
議会の質問応答が不徹底である

第六十五議会 ( 註・斎藤内閣 ) において軍部間の声明書問題が端緒となり、
軍人と政治の問題が盛んに照すも、この敢然として質すべき議員の存在は大いに慶すべく、
また軍の首脳部としても、幸に事の真相を伝うるの好機会を得たる賀するべきであるからである。
さりながら問者余りに無知識無穿鑿むせんさくにして問題の要点を知らず。
答者あまりに消極的にして事の真相を云わずんば、
せつかくの機会もかえつて世人の疑惑を深からしめる所以となるのみならず、
肝心の皇軍全体に与える影響も、決してよろしくはないと信ぜられるゆえに、
左にわれら一個のこの問題に関する所見を述べておきたいと思うのである。

そもそも軍人 ことに青年将校らが国政に対し、
多大の関心を抱くに至りたる主な原因は、共産党事件の続出より始まる。
およそ日本国民にして忠誠の念ある者、一人として赤化思想の蔓延を憂えざるはないのであるが、
特に軍人は大元帥陛下の股肱たる関係上、一入ひとしおこの問題に関心を持ち、
常人以上に国体否認の悪思想の蔓延を憂えるはもちろんのことである。
しかしてこの席か問題は数年以前よりますます政治上の重大問題となり、
その時々の為政者いずれも主義者の検挙に努め、かつ しばしば抜本塞源そくげんを口にすれども、
いまだ忠誠なる国民をして、
その意を安んじるに足るほどの効果を見るには至つてはおらないのみならず、
近年の新入営者の中には、かかる悪思想の影響を受けたる者も、相当にいるのである。
これ 青年将校らが相集まる毎に皇国のために憂え かつ 憤ると共に、
自己に直接関係ある軍事教育の上よりも、かかる悪思想の瀰漫びまんする原因如何。
あるいはこれが対策如何等に関して論議を闘わし、往々その声の外聞に洩るる所以である。
次には対外問題、ことにロンドン条約に関連せる統帥権問題、
あるいは満洲における往年の日本の権威失墜などが、
これはまた軍人の政治に対する関心を深からしめるに至りたる主要原因の一つをなしている。
ただし これらの問題については世上の論議すでに尽きたりと信ずるがゆえにここには省略をする。

最近において特に青年将校らの間に、最も重大問題となつているのは、国民生活の不安である。
世人あるいは言わん、国民の生活問題のごときは、その時々の政府当局において、
できうるかぎりの努力をなしつつある次第なれば、敢えて青年将校らの憂慮を要せずと。
これはまつたく軍隊内の事情を理解せざる者の妄言である。
なんとなれば 実際軍隊内にあつて、直接兵士の教育に任じつつある青年将校らよりすれば、
兵士の家庭の窮迫は決して小なる問題ではなく、
また 決して対岸の火災視すべき問題でもないからである。
いつかの新聞紙上にも、偶々日曜の休暇を与えられたる兵士が、
街頭に紙屑を拾うて家計の手助けを為せる記事が掲載せられて、
世の人々の胸を打つたようであるが、現在教育を受けつつある兵士の中には、
これに類する程度の窮迫せるカティり入営せる者が、決して尠すくなくはないのである。
例えば 東京の第一師団管下において、家庭の窮状甚だしきがために、
僅かなる陸軍の救護手当を受けつつある者さえ四十余家庭を数え、第二師団管下においては、
その種の者がほとんど全兵士の三割にも当るという有様である。
しかして兵士の中の大体七割以上は農村および漁村の出身であつて、
また家庭的事情より見れば、いわゆる無産階級の子弟がその大分分であることを思えば、
たとえ救護手当を受けるほどではなくとも、近年の世上の不景気を顧かえりみ、
相当窮迫せる家庭より入営せる者が、いかに多いかということも自ら察せられる次第である。
かかる家庭より入営せる兵士が、その私服を脱いで軍服を着たる瞬間より、
まつたく自己を忘れ家庭を棄てて軍務に精励するはもちろん、
一朝有事のさいには君国のために、
命を鴻毛こうもうの軽きに比して 戦場に死力を尽すのであるから、
平生直接教育の任に当たりつつある青年将校らが、
これら兵士の任務の重大と家庭の窮迫とを思い合せて、かつは皇軍の士気のため、
かつは軍隊の団結上、なおさらに人情の上よりして、せめてはこの重大任務に服する兵士らをして、
後顧の憂えなからしめたしと念ずるのは当然ではあるまいか。
ことに青年将校の中には乏しき自己の給料を幾分か割いて、
最も窮迫せる部下の兵士の家庭に月々窃ひそかに送金しつつある者が、
近年頗る多いことを記憶しなければならぬ。
しかしてその結果は政治の成行きに関し、非常なる関心を持つのみならず、
政府の財政経済政策もしくは現存の経済機構等に関してまでも、その是非を考うるの風、
ようやく将校間に盛んとなるに至つているのである。
加うるに 近年における疑獄事件の頻発その他により、軍人の現代政治家に対する信頼の念が、
一般的に薄らぎきたつていることも掩おおい難き事実である。

もとより多数の青年将校の中には、あるいは事を好む者もあるべく、
また必ずしも純真ならざる者もあるかもしれない。
いわんやたとえ純真なる動機にもとづくとは云え、
矯激なる言動に出ずる者を厳重に取締るべきはもちろんである。
殊に五・一五事件りごとき不祥事の勃発をさえ見たる後であるから、
 断じてその警戒に抜かりがあつてはならぬのである。
さりながら もしも今日における軍人と政治の問題が、
たまたまこの種の常規を逸する者に対する処分や暴圧をもつて、
いつさい万事解決するものであるかのごとくに考えるならば、それはあまりに浅薄皮相の見解である。
なんとなれば問題の本質はすでに上述のごとく、
実は忠誠皇軍に奉じ、熱心に部下を愛育しつつあるほとんどすべての青年将校らが、
国家非常時における皇軍の責務の重大なるを思えば思うほど、
その軍人としての本分を全うするの上より、顧みて国内の情勢を憂え、
殊に兵士の揺籃ようらんであるところの農村や漁村の窮状を、
なんとか早く救うの途はないものであろうかと焦慮する処に存するがゆえである。
軍人への勅諭には、
抑々国家ヲ保護シ、国権ヲ維持スルハ兵力ニ在レハ、
兵力ノ消長ハ是レ国運ノ盛衰ナルコトヲ弁ワキマヘ、世論ニ惑ハス、政治ニ拘ラス、
只々一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守リ、・・云々
と 仰せられているが、
その兵力の消長を直ちに国連の盛衰と見、その本分の忠節を守る点より、
右のごとき焦慮と憂憤を抱きながら、しかも務めて軍紀を重んじ、
あらゆる世上の俗論と戦いつつ軍隊の士気を鼓舞し、
おのおのその所属部隊を守護しつつある青年将校らが、
果して一部の軽率なる人々の考うるがごとく軍紀の紊乱者として、
しかく簡単に処罰されて問題が解決するものであろうか。
いな 一層徹底的にこれをいえば、この青年将校らの国政の現状に対する憂憤こそ、
実は一朝事がある際におけるその敵愾心てきがいしんともなり戦闘力ともなつて、
この国を護る精神と同一なのであることを理解しえざる者は、共に国防を語るに足らないのである。
われらの知る限りにおいては、軍首脳部のこれが対策はただ
「政治上の事はすべて軍部大臣を通じてその希望の実現を期し、皇軍の統制を紊ル勿れ」
と 諭しつつ、ひそかに国政の改革に努め、
もつて青年将校らの憂憤の解消を期するにあつたようである。
荒木前陸相がその在職中にしきりに内政問題に関して発言をなし、
常に硬論を主張したる所以もここに存するのであるが、しかもわれらは荒木前陸相の彼の博弁と、
彼の大車輪の活動とをもつてしても、なおこの問題の核心をつかんで、
その根本的解決に一歩を進むるの上に、努力の足らざりしことを遺憾に感ぜざるをえないのである。
これその病に仆れ、かつその遂に辞職の余儀なきに至りし最大原因である。
もしそれ斎藤首相以下の他の閣僚諸公に至りては、只管ひたすら安価なる気休めに淫いんして
内閣の寿命を貪むさぼり、毫もかかる問題に直面して敢然その対策を講ずるの至誠なかりしことは、
もつとも非常時内閣の名に反すること大なりといわねばならぬ。
ここにおいてか第六十五議会(註・斎藤内閣) に臨む軍部大臣たる者は、
もはやいつさいの消極的態度を捨て、もとより掛引きを排し巧智を用いずして、
極めて率直明瞭にこの情勢を打明け、ことに青年将校らの至当なる焦慮と憂憤を議会に語り、
国民に伝え、もつて全政治家一致の努力と全国民の理解との下に、
一日も速やかに軍部内におけるかかる風潮の由来せる、
根本原因の解消を期せなければならなかつたはずである。
同時にまた両院議員諸君にして、もしかかる点に深く慮るところがあるならば、
その議会における軍部大臣に対する質問なるものは、
いたずらに見当違いの言質を取りて自己の気休めとなすことの代りに、
かならずやこの要点にふれ、
軍首脳部のかかる重大苦心の分担と特に両院議員の自己反省と、
さらに進んで問題解決のためにする積極的協力との意味において、
質問がなされなければならぬはずであつたと思う。
しかるに議会の質問応答が共にはなはだ不徹底にして、
せつかくの好機会を善用するに至らなかつたことは、惜しみても余りある事といわねばならぬ。
なお軍民離間の声明書に関する軍部大臣の答弁も、
その実際に存ずる奇怪至極なる幾多の事実を挙げずして、あまりに穏便を希ねがいし結果、
いかにも軍部の軽率を証明するがごときことに終つたのは、
林陸相の就任早々なりしによるところあらんも、容易ならぬ両大臣の失態である。
われらの希うところはただ一日も早く真面目なる皇軍の将士に安心を与え、
その内憂と後顧の憂えとを無からしめて、大元帥陛下の統帥の下に、
あめが下のまつろわぬ者共を討ち平げる天業に専心ならしめるにある。
しかしてこの一事こそ非常時に直面せる皇国日本の急務中の急務であるから、
政府も軍部も両院の諸君も、よく事態の本質を究めて、
その意味の努力に違算なきを期せられたとしと祈るのである。