写真:「国譲りの見返りで建った出雲神殿」
今日は七夕。あいにくの雨ですが彦星と織姫の逢瀬の日です。そういえば一昨日、出雲大社の千家さんと高円宮典子さんの納采の儀がありました。おめでたいことです。
しかしこの出雲とヤマトの成婚は、敵対していた両国の長い歴史を考えると、とてつもない事件といってよいようです。大国主命(千家家)がヤマト王朝に国土を譲り(簒奪され)、以来出雲のヤマト(天皇家)への恩讐が根深く続いているからです。
例えばこんな話を出雲で聞きました。
一つは30年ほど前の当地での「まちづくりシンポ」の時のこと。ある地(ぢ)の出席者の一人がこう話したのです。
「小さい頃に聞いたんだけど、戦艦大和が沈んだ時、出雲の年寄りは“大和が負けた、大和が負けた”と喜んだというのです。それ程に出雲の人は大和を長く恨んでいたのですよ」。
もう一つはごく最近の話しで、出雲出身の法政の大学教師から聞きました。
「竹下登が首相になり島根の地元でその報告会を開いた際、ひと騒動ありました。『大和は出雲が譲り捨てた国だ。その大和の首相になったからといって今さらノコノコと出雲に報告に来るな』。会場からそうブーイングがあったのです」。
時空を超え、壮大な神話世界を現代に想起する、なかなか楽しいエピソードではないでしょうか。
もっとも数年前、目黒の雅叙園でのパーティで、出雲大社の千家隆比古権宮司と同じテーブルに座る機会がありました。そこでこの話の真実を確認したところ、「初耳ですねえ、その話は。でも確認してみましょう」と笑っていました。