![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/4a/03296b6507480691541b1fa288b4f138.jpg)
写真:異国の丘・岸壁の母の記念碑
(舞鶴と聞くとどうしてもシベリア抑留を想う)
(舞鶴と聞くとどうしてもシベリア抑留を想う)
昨日今日、筆力のある若いジャーナリスト、門田隆将の著書を読み続けています。先般ブログに取り上げた「この命、義に捧ぐ」(5月5日ブログ)のあと、「風にそよぐ墓標」(日航機墜落事故)、「裁判官が日本を滅ぼす」と進んでいます。
裁判官の問題性を追った、この「裁判官が日本を滅ぼす」のせいでしょうか、昨日京都地裁で出された、舞鶴市での女子高生殺人の判決に思わず目が行きました。そして何ともいいようにない不安感を持たされました。
被告(62歳)は捜査段階から犯行を全面否認し、判決を受けた当日も、「自分は無罪だ!」と叫びながら退廷したといいます。何よりも気になるのは、凶器などの直接証拠がなく、目撃者証言など検察の積み上げた状況証拠による評価に立って有罪とされたことです。
・・こういうパターンが一番怖い。率直にそう感じさせる空気があります。控訴審での審理を待つしかないでしょうが、足利事件の様な悲劇が生まれないことを念じたいものです。
それにしても裁判官の資質を指弾する門田隆将の「裁判官が日本を滅ぼす」は迫力があります。例えばその中で扱った、女子高生への痴漢事件などは強烈でした。
電車内で痴漢をしたというサラリーマンの裁判です。しかしその被害女子高生が一年で5回も痴漢を捕まえ、そのつど数十万円の慰謝料を得ていたことが発覚するのです。サラリーマンの痴漢事件はでっち上げだと無罪にされます。
ところがこの刑事判決の直後に、くだんの女子高生親子に損害賠償の訴えを起こしたサラリーマンは、民事裁判官から逆に「痴漢をした」と認定されるのです。この差異を、単に杓子定規に、民事と刑事は違って当然などと嘯くとしたら、やはりこの国の司法は病んでいるという他ありません。