嶋津隆文オフィシャルブログ

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梅棹忠夫先生を偲ぶ下河辺淳理事長の追悼文

2010年11月22日 | Weblog

写真:「法隆寺の五重塔」本人撮影

週末、平城遷都1300年の会場を見たくて、ピークを越えたこの時期に奈良を訪れました。しかしシルクロードの終点とされるこの地で幾つかの寺社を回るうちに、ふとこの夏亡くなられた梅棹忠夫先生に思いが至り、翌日に大阪千里の国立民族博物館に向かいました。

館では、先月に梅棹先生をしのぶ会が持たれたこと知らされ、「先生の親しい方なら」と小さな冊子をいただきました。それは当日の追悼集でした。そのなかにかつて私がNIRAに身を置いていた時の下河辺淳理事長の文が載っていました。こうです。

「梅棹忠夫」は関西が生んだ、日本が生んだ、アジアが生んだ、20世紀が生んだ特異な日本人である。梅棹は頭で考え、手で物を書く学者・研究者・教授として知られているが、私にとっての梅棹はそうではない。彼は肉体で受け止めたものを考える。頭ではなく、全身に深くしみ込んで感じたものを語るのである。

「梅棹忠夫」は死んだ。「夜はまだあけぬか」という言葉を残して死んだ。死の世界は果たして失明者にとっていかなる世界なのか。おそらく視力を必要としない世界、失明者「梅棹忠夫」にとって何の不自由もない世界であろう。今そこに飛び込んだ彼は晴れ晴れとした気分でいるに違いない。

身ぶるいしてしまいそうな語りかけではないですか。二人の知性の何とも深い交流と信頼観が、思い切り滲み出ていると言ってよいでしょう。

法隆寺の空にあった白い雲よりも、唐招提寺を広く包んでいた紅葉よりも、この下河辺理事長の追悼文には何とも深い爽やかさを味わわされたものです。晩秋の、心なごむ関西行でありました。

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