嶋津隆文オフィシャルブログ

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漱石の「こゝろ」と漱石の「脳」

2008年01月06日 | Weblog

久しぶりに帰郷したふるさと。そこでの正月三が日にはこれがふさわしいと、漱石の「こゝろ」を書棚から出し読んで過ごしました。いうまでもなく、友人の懸想する女性を奪いその友人を自殺させるとともに、やがては自らも命を断つという晩年の作品です。人間の持つ利己的な営為を透徹した目で追ったこの小説が、しかし放恣の横溢する今日の現実の前には色褪せてしまうような気がしたのは、やはり還暦を迎えた歳のなせる所以でしょうか。

それはともあれ、漱石は確実に不遇でした。教え子の藤村操を華厳の滝に身を投じさせたのは自分ではないかと悩み、妻鏡子のノイローゼに苦しみ、留学先ロンドンでは発狂したのではないかという噂に帰国させられました。また自身も神経衰弱と胃潰瘍を長く患っていたのです。

彼が他人に冷淡であったのも頷けるなどと呟きながら、ページをめくる自分が強烈に想い起こしたことがありました。それは「こゝろ」ならず漱石の「脳」のことでした。晩年、いよいよ気難しくなった漱石に家族はたいへん翻弄され、それゆえ彼が亡くなったとき、その元凶である「脳」を東大病院から受け取ることを拒否したと伝えられていました。

その「脳」を2年前の早春、日本科学未来館での展示室で直に目にすることがあったのです。大文豪といわれたその人物を形成した「脳」は、しかし決して大きくはなく(1425グラム)、またやや黒ずんだその色彩に、長く苦悩を詰まらせていた痕跡をみたような気がしたものでした。並んで展示されていた地球規模の民俗学者南方熊楠のそれと比べると、明らかに小ぶりではなかったかと記憶しています。

名声と不遇とが混在した漱石。それは明治という国家と人間の苦渋あるいは煩悩を凝縮させていた漱石ともいえましょう。そういう人物であればこそ、その「脳」は異形でなくてはならないはずでした。しかし平凡な形と変哲もない大きさという現実の前で、やや狼狽する自分をどうすることもできなかったのです。

人は思わぬことに失望するものです。しかし他方で、思わぬことに歓喜するものでもあるようです。現に帰京の途中の東名で見た富士の壮大な姿に、鬱積した漱石への想いは容易に払拭され、何とも晴れやかな心地になったものでした。そんなこんな小さな起伏をバランスよく繰り返しながら、平凡な人生を平凡に生きていくこと。どうやらそれが一番いいと思うふるさとでの新春でした。
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