嶋津隆文オフィシャルブログ

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粕谷一希編集長逝く、ほろ苦い思い出ばかり多く

2014年06月16日 | Weblog

先月末、粕谷一希さんが逝かれました。84歳。「中央公論」で永井陽之助、高坂正堯、山崎正和、塩野七生らを世に送り出し、名編集長と高い評価を受けてきました。戦後日本の論壇に保守主義、現実主義の潮流を築いた編集者とも評されます。

昭和63年に東京都が出資する「東京人」誌を創刊し、粕谷さんはその編集長となります。その関わりもあってしばらくお付き合いすることになるのですが、私にとってはほろ苦い思い出ばかりが残ります。

最初にお会いしたのは平成元年。当時駐在していたNYでの日本レストランでのことでした。親しい面々と一緒だったせいか粕谷さんは深酒し、そして突然に私にキスしてきたのです。その後、床に倒れ動かなくなってしまい、私たちは救急車を呼んだものかと大いに慌てたものでした。

ついで苦い思い出はその数年後のことで、「東京人」への論文掲載を依頼された折のことです。私は「団塊世代の高齢化と死」をテーマにまとめ、編集者に渡したのですが、出版されてみるとタイトルも文章も手が加えられていました。修正があれば事前に相談するべきものと私はひどく驚いたものでした。

数日後私は、粕谷さんと編集担当者に立川の喫茶店で会い、無断修正への抗議を申し入れました。しかし彼らは「死を論じるのは気持ちが悪い」と言い、訴訟でも何でもしてくれという話でした。これがあの名編集長の姿勢であろうかと失望と怒りを禁じ得ませんでした。

いずれも20年ほど前に事件です。しかし亡くなったとはいえ、何ともほろ苦さばかりが思い出される関わりというほかありません。

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