嶋津隆文オフィシャルブログ

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そうか、司馬遼太郎は梅棹忠夫の影響を受けたんだ

2015年01月05日 | Weblog
【岩波書店「柳田國男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて」表紙】

長い、9日間に及ぶ年末年始の休みでした。誕生した二人目の孫の顔を見に宇都宮に足を運んだことと神社への初詣以外は、読みそびれていた何冊かの本に挑みました。その1冊は「柳田國男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて」伊藤幹治(岩波書店)です。

私のNIRA(総合研究開発機構)時代に都(みやこ)論で直接薫陶を受けた梅棹先生です。その文明史観と、日本の民俗学の草分け柳田御大の対比です。その内容の面白さに、もっと早めに読むべきであったと大いに悔やみつつ頁を追いました。

その中の一節に梅棹先生の指摘としてこんなくだりがありました。遅ればせながらちょっと驚いたので、ここに記します。

江戸後期から明治までの間、藩校などを通じ教育の充実が日本の近代化の素地となっていたが、そこには武士階級の価値観が貫かれていたというものです。それを梅棹は「サムライゼーション」(武士の倫理)と呼んでいます。しかしその後に近代化の今日に至る過程で消費を優先する社会が顕在化するようになり、それを「チョーニナイゼーション」(町人の倫理)と名付けます。

そうか、「「明治」という国家」や「坂の上の雲」で司馬遼太郎が言及していた「(明治は今日と異なる)もうひとつの国家であった」との指摘は、この梅棹の言及を踏襲していたのでないのか。そう感じとったのです。「もうひとつの国家」とは慧眼であり、司馬遼太郎の文学者としての透徹した歴史感があったと思ってきたものだけに、目から鱗でありました。

梅棹史観などへのこうした自分の不明を恥じながらも、この発見にひどく嬉しくなり、いいお年玉をもらったものと気持ちを楽しくした次第です。


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