写真:「瀋陽(奉天)の9・18博物館」
昭和6(1931)年9月18日は満州事変の始まった日です。あれから80年。現地の9・18歴史博物館で記念式典が行われたのは当然としても、日本でも人物往来社の『歴史読本』が「満州事変80周年」特集号を出すなど、満州の歴史はいつまでもくすぶり続けています。
何年か前に満州の地を旅する機会がありました。瀋陽(奉天)につくと私は、ほとんど義務感に駆られるような思いで、市郊外の爆破の現地・柳条湖に向かったものです。しかし人影の少ないなかで、突然に目に入ってきた建物の巨大さとそこに書かれた文字の大きさに驚かされました。
新築されていた歴史博物館と「勿忘“九.一八” 江澤民」の文字。
爆破事件から半世紀以上たっているにもかかわらず、100億円近い巨額費をかけ1991年に建設されていたのです。当時江澤民主席は、天安門事件で国際的に経済制裁を受け、他方でソ連などの共産主義諸国が崩壊していく中で、国家体制を維持する手段として反日教育を徹底したと言われます。その意図が露骨にみえるこの刻み文字に、私は何よりも強く違和感を持ったものでした。
そういえば最近、毎年9月18日の瀋陽では、爆破工作が行われた夜10時を機に、市内を走るすべてのバスや車が一斉に警笛をならし、日本への抗議の意を確認し合っているとも聞きました。江澤民の執拗な反日教育の成果は、中国の中にしっかりしみ込んでしまっているようです。