木漏れ日

日差しがキラキラと躍ってる…

病友aiさん

2008年12月27日 | 化学療法
「手術日が決まりました 手術が近づいてきて怖いです」
「私のおっぱい どうなっちゃうのかな 手術痛いですか?」
aiさんからのメールです

aiさんとは「ケモ友達」
初めて会ったのは化学療法室で6月20日 私の最終抗がん剤点滴
aiさんは初回の点滴(CEF療法)でした
偶然隣合わせのリクライニングシートに座ったのがきっかけでした
三週間毎の点滴なので何人かは一緒の日に顔を合わせるのですが
お話しすることは無く ベットが離れていたり カーテンを閉めていたり
お話しする雰囲気ではないのです

最初お母さんと一緒に化療室に入ってきたaiさんを見かけた時に
お母さんの治療に娘さんが付き添ってきたと勘違いした程です
リクライニングシートに座ったのはお嬢さんの方…
点滴をする時にやって来たのが乳腺外科の女医T先生
…彼女も乳癌なの?
針がうまく入るか心配する彼女に
「T先生上手だから大丈夫よ 入りにくい私のもいつも上手に入れてくれるから ネ先生」
と声を掛けたのが最初です
聞けば術前治療だそうで…
 少しお話をしたり 注意する事を助言したり

その日はそのまま別れ 後で連絡方法聞けば良かったと後悔  
友達と言うより母親的な感情で 困ったときに話し相手になりたいと思ったのです
こんな年かさがいっている私でさえも不安なのに さぞかし…
その日は自分の病気を忘れ
 年若い彼女の心情を思い辛い思いですごしたのを覚えています

それから1ヶ月半後の8月8日 私の検診日 
 彼女の事が気になっていましたが
今日はあれから7週間目 先週なら会えたかもしれないけれど…

ところが外来で彼女が呼ばれるのを耳にしたのです???
 診察が終わって出てきた彼女が目の前に
お互いに顔を合わせ びっくり!
腫瘍の変化具合を検査したので抗がん剤投与が1週間ずれ 
今日が3回目の点滴
点滴で癌が小さくなった事 熱が39.5度も出た事など話し 
でも彼女は化療室に向かわなければならず
 急ぎメールアドレス渡し 
aiさんも私の連絡先を聞いておけばよかったと思ったそうです

そんな経緯でガン友 ケモ(化療)友になったのです

いつも混んでいる乳腺外科外来なのに
 同じ人と顔を合わせる事は滅多に無いのです
偶然でも再会したのだから縁があったのでしょう

抗がん剤治療でも彼女に試練はありました
抗がん剤CEF療法×4回+T4回の予定でしたが
T(タキソテール)の点滴を始めて5分ほどしたら具合が悪くなり
続けられなくなったそうです
予定変更でウイークリータキソールを提案され
…又アレルギー症状が出るかも…でも試してみましょうと

毎週の抗がん剤にはかなり悩んだようです 
お勤めしながらの彼女は退職まで考え…でも今が正念場と思いとどまり
で、ウイークリータキソールも結局 身体が受け付けず断念しました
そしてCEF療法を追加で2回点滴して手術に臨んだのです

彼女の手術が12月に入って行われました

手術は未婚のaiさんにはとても心配な事で本などに載っている
 失敗した例の部分切除術などを見て心痛めていました
本とかネットには怖い情報もいっぱい載っているもの… 

そこで入院した日 
私の術跡を見せてあげるため病院に向かいました
いろいろ話をして 患部を見せてあげたらちょっと安心したようです
抜糸をしない切り口はすくい縫いをしてあるので針目が目立ちません(お裁縫か?)
胸の高さはかなりアンバランスだけれど
 大きさは洋服着ちゃえば左右大差ない これ位なら良しとしましょうネ

手術当日 
「大丈夫 乳癌は翌日普通食が食べられるし 歩いてトイレにも行かれるよ」
なんて 勇気づけてきたものの 
  もし凄く病んだらどうしよう
     何かあったらどうしよう
とにかく無事に手術が済んでほしいと祈るばかりで時計と睨めっこしていました
私もこんな思いを皆にさせたのね 改めて皆に感謝でした
 
翌々日 お見舞いに行ってaiさんの姿を見て安心したものです
腫瘍も小さくなり消えてしまった物もあったそうです
部分切除術 リンパ郭清 
手を挙げるのがなかなか大変な様子
無理をしないよう でも少しずつがんばって

来年早々から放射線治療が始まり
  月に一回のホルモン注射も打たなければいけません
まだまだ治療は続き大変だけれど ボチボチいきましょうね

彼女から来るメールも最近は明るくなっています
抗がん剤治療をお仕事しながら乗り越えられたんだから
ちょっとやそっとではへこたれないよね

最近のメールに「来年 お食事一緒に行きましょうね」って書いてあり
「嬉しい!行きましょうね」って約束しました

若い彼女が前向きに頑張っているのだから私だって頑張らない訳にはいきません