11月14日(読んだ本、『一、二、三、死、今日を生きよう! ―成田参拝― 』 再読)

 @rinakko
 垂れ下る空に壓されて一日づつわが沈みゆく地下よ深かれ──齋藤史
 墓標の前/みなうしろむき/その背の眼──高柳重信
 #詩歌蠱術函








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 【一、ニ、三、死、今日を生きよう! ―成田参拝―/笙野 頼子】
 
 再読。概ね単行本の刊行順に読み返しているが、「成田参拝」の初出は2003年とあり、成田を知ったのを機に個人の信仰とは何かと考えたこと、長篇『金毘羅』へと至るその覚醒の流れについて辿ることが出来る。

 “私にとって愚民でないという事は常に狂気と向かい合う事だ。或いは愚民である自分を自覚する事だ。そのふたつの間を行き来して生きることだ。だって、――。
 世界に対して自分が非情になってしまえばいつでも反作用のようにして、その世界の方がこちらの生命を奪いに来るから。快い解放と無責任は心の底の生命力を乱費させて綺麗な幻を見せるけど、そのままではいられない。だから揺れる揺れる。”

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