上田早夕里さん、『華竜の宮』

 短篇集で受けた鮮烈な印象が忘れがたく、こちらの作品を読んでみた。『華竜の宮』の感想を少しばかり。

 ツキソメとユズリハの寄り添う和声が、唄が、いつまでも響いて離れない…。素晴らしい読み応えだった。
 ほとんどの陸地が水没し、多くの物が失われてしまった25世紀。人類は陸上民と海上民とに分かれ、大きく異なる文化のもとで各々の生活を送るようになっていた。それは、高度な情報社会に守られた陸地や海上都市での暮らしと、海で漁をしながら〈魚舟〉に居住して常に様々な危険に晒されている環境下でのそれとに、酷くかけ離れたものとなっていたのだった。それでも、人類が迎えた第二の繁栄時代は、微妙な均衡を保ってそのまま続くかのように見えていたのではあった、が…。
 タグなし船団のオサ・ツキソメ、洋上のトラブルを担当する外交官青澄、海上民でありながら海上警備隊の隊長であるタイフォン…といった立場の全く違う登場人物たちの物語が、時に重なりながら交互に語られていく。一つの扉が開くとまた次の扉があらわれ、またその扉が開くと…といった具合に、次から次へと驚きの展開が待ち受けているので、はらはらしながら頁を繰っていた。

 明るい未来とはとても言い難い世界を見せられているはずなのに、なぜか心惹かれてやまない光景に幾度となく胸を揺さぶられた。それは、大きな〈魚舟〉たちの泳ぐ不思議な海の眺め。そもそも〈魚舟〉は海上民である一人一人の双子の〈朋)として生まれ、後に乗り手としてヒトとの契約を結ぶこととなる(ただし、生き延びて戻ってくる魚舟は限られている)。この、〈魚舟〉という一見とても風変わりな設定には、むしょうに心を捉えて離さないものがあった。回帰とか共生とか唄とか絆とかそういったイメージが一度に同時に喚起される、そんな見事な造形の所為もあるのかも知れない。〈朋〉であり異種でもある乗り手と魚舟が心を通い合わせる様子には、何か懐かしさすら感じてしまう。

 異種でありながら強い繋がりを持つパートナーとしては、陸上民とアシスタント知性体という組み合わせも、この物語の中で重要かつ印象的な役割を持っていた。陸と海とに橋渡しをしようと努める外交官青澄の物語を語るのは、彼のパートナーとして長い付き合いをしてきたアシスタント知性体なのである。アシスタント知性体の本体は電子機器の塊…ではあるのだが、無機的には割り切れない信頼関係や友情がそこには確かにあるようで、興味深かった。
 海上民と魚舟、陸上民とアシスタント知性体、そしてツキソメの存在。人間も魚舟も獣舟も人工知性体も同じ命としてとらえようとする、共生の祈りの唄が物語全体で響いているようにも感じたのだ。エピローグまできっちりなのも嬉しかった。
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11月25日(木)のつぶやき

17:41 from web
BONNIE PINKと斉藤和義の「真夏の果実」でしみじみなう。一旦帰宅しただーなさんは、一緒に少し呑んでから送別会に行ってしまったよ。
17:43 from web
斉藤和義は、昔の尖がってる歌の方が好きだなー。
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