魚住陽子さん、『公園』

 窓の外を見上げると、灰色の雲の毛羽立った縁が真珠色に鈍く光っていた。この作品の余韻に、しっくりとくる眺めだった。
 『公園』、魚住陽子を読みました。

 “感情の仮託というのは奇跡のようなものだな、とふいに思った。あの人の真の姿、あの人の叫びが聞こえる人間がどれだけいるだろう。あの人はあんなに一生懸命サインを送っているのに。” 133頁

 “あの人は今日も来ている”…。あの人とはいったい誰のことだったのだろう…。誰かの娘、誰かの母親、夫の愛人、それとも。
 きっと、誰の心にも棲むあの人のことだ。人や人や人、人、ひと…にあふれる日常の光景の中で、無意識にその目が捜さずにはいられない誰かのことだ。心の奥に隠された秘密を、束の間投影する為でもあるかのように。見つめることによって暴き、見つめられることによって暴かれ続ける為でもあるかのように。

 魚住さんの作品を初めて読んで、忘れられない出会いになった。小川洋子さんの『妖精の舞い降りる夜』で知った。この作品は、“あの人は今日も来ている”という印象的な文章で始まるが、その“あの人”について、「私が書きたいのも“あの人”のことなのだ」というようなことも書かれていたと思う。
 特定の名前を持たない、夏の幻のようなあの人。誰にでも似ていて、誰でもないあの人。伸ばした手をすり抜けて、遠ざかっていくあの人。それならば、私たちは誰もが、誰かにとっての“あの人”でもあるのかもしれない。
 (2007.3.12)

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