ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

お盆に思うこと

2017-08-15 14:47:08 | Weblog
盆休み、寝て過ぎていく。。。

眠りの質が悪いのか、
10時間も寝てしまった。。。。

寝てばっかり。

あれやろう、これやろうも
全く消化できず。。。。





さて、お盆に思うこと。

先日、何の番組かは忘れたけれど
四本の棒を突き刺したなすと
きゅうりを出して
「これは何に使う?」と
問題を出していた。

大半の人が答えられなかった。



正解は、馬と牛でご先祖様の乗り物。

馬はご先祖様があの世から
駆けてこれるように。

牛は帰りは荷物を持って思いから
力のある牛でおかえりください。

という意味のお供え。




この問題、無理がある。。。

地域によってそのような風習がない場合もある。

また、おじいちゃんおばあちゃんちに
いっても、
仏壇がない場合はそのようなお飾りを
作ることもないので見ることがない。


我が家の場合、仏壇もあったけれど、
乗り物を作る習慣はなかった。

母によれば、昔は近くの八百屋で
盆のためのグッズを売っていたという。

おばあちゃんがしなかったのか、
もともとそういう風習がなかったかは
わからない。


迎え火、送り火の習慣もなく。

ただ、
「お墓に迎えに行く」
「お墓にお見送りに行く(連れていく)」
という風習はあった。

朝、墓掃除に行って
夜に迎えに行くと。

本来は提灯を灯していくような感じ。

でも、車で移動していたから
その提灯を点けてのお出迎えも消え、
墓地が遠くなってからは
お盆の初日に行くだけになった。


ピンクの小ぶりな提灯を売っていて、
家によってはお墓に供えていた。

すごく小さい頃は
車から降りてお墓に向かうときに
このピンクの提灯を灯して、
お参りして車に乗るときに
提灯の火を消したような気がする。


この提灯も見ない。




嫁に行った姪たち。

実家には仏壇はなかった。

じじばば宅には
近くに住んでいること言うこともあり、
お盆に会食することはあっても
お盆の間に頻繁に来ることもなく。
この「迎えに行く、お見送りに行く」と
いうことも知らないだろうな。。




さて、今日は終戦記念日。

正午の黙とう。
どのくらいの人がやったんだろうか。

超党派で靖国神社に議員がお参りに行ったという。

先の戦争に対する責任や反省、
二度と戦争を起こさないという思いがあるのなら、
TwitterやfacebookなどのSNSを使って
「終戦記念日です。
 戦争の悲劇を忘れないために、
 二度を戦争を起こさないということを誓うために
 正午に黙とうをしてください」
とメッセージを発する議員がいてもよいと思う。

過去への発信だけでなく
未来への発信はしないのか。



報道の自由というけれど、
本当に戦争のことを反省しているのであれば
テレビ局、ラジオ局も
黙とうの前後5分間の放送を止めて
黙とうを促す放送をするように
政府が声掛けをしてもよいのではないか。

戦後すくであれば、
だれもが報道の自由よりも同意したと思う。
なぜ、当時しなかったのか。

今の時代の声掛けは難しいとは思う。



お盆の文化もうそうだけれど、
戦争への思いも薄れていく、
廃れていく。

コメント
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