計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

失敗は成長への投資

2015年12月06日 | オピニオン・コメント
 この冬もまた、5年前の12月に「予報業務許可事業者」の仲間入りを果たした会社で局地予報に係わっています。

 この会社について、2012年の年末の記事で、5年前は「ギリギリセーフでようやく立ち上がり始めた」年、4年前は「やっと本格始動の時を迎えた」年、そして3年前は「少しずつ、ゆっくりと歩みを進めた」年、そして2年(一昨年)は「ゆっくりと歩みを進めた」一年だったと称しました。このまま歩み続けていれば、いつかは成功出来るかも知れない・・・そんな想いも抱きながらも、なかなか様々な状況が進展しない(実感を得られない)現実を前に、焦りが募る一方でありました。昨年は、その一年を振り返り、ただ一言 「成長」の一年と称しました。

 そして、今年一年を一言で言うならば・・・「流れが変わり始めた」年だったように感じます。そして、それを色々な形で実感できました。最も大きかったのは、ローカルCATVの朝の情報番組に関わらせて頂くようになったことです。

 今年の4月からは、ローカルのCATVで朝の情報番組でアナウンサーさんが読み上げるための天気予報の原稿作成が始まり、5月からはさらに、その情報番組で「電話出演」と言う形で「天気予報解説」のデビューを果たしました。気象予報士となって17年3ヶ月目にして、ついにONAIRのデビューを迎える運びとなりました。それまで17年もの間、「メディアに縁遠い気象予報士」と言う看板を背負ってきたわけですが、遂にその看板を下ろすことになりました。

 今、いわゆる「気象キャスター」ではないものの、実際にONAIRで(電話の音声だけですが)出演する身になって感じるのは・・・「ONAIRには魔物が住んでいる」ということです。学会発表やプレゼンテーションをそれなりに経験してきた私も、メディア・デビュー当初は、慣れないこともありイロイロとやらかしました・・・。しかし、今ではもう、私にとっては立派な「武勇伝」になっております。これらの武勇伝は、どこかの講演や特別講義の類で、しっかり使わせて頂こうと思っている所です。

 まあ、ちょっと派手に失敗したところで、別に人間、死にはしないんですそれまで頑張ってきた事が消えてなくなるわけでもないのです(まあ、「大目玉」をくらうことはあるけれど・・・)。もっと言えば、受験や試験で失敗したからと言って、何も命まで取られることはないんです(私も高校受験に失敗しておりますが、学習塾の講師をやる上では、この体験は非常に強い話題になります)。所詮、人の噂も七十五日、喉元過ぎれば熱さ忘れるんですよね。何せ、あれほど騒がれたSTAP現象にしろ、ゴーストライター作曲家にしろ・・・今では過去の事として風化しているわけですし。

 要は、正々堂々、頑張って、ぶつかって、それでも駄目だったら、失敗したら、そこで学んだことを次に活かして行けば良いのです。そうやって、学びを深めて、一歩一歩、着実に「成長」して行けば良いのです。

 「挑戦」 無くして 「失敗」 無し。 No challenge, No failure.
 「失敗」 無くして 「成長」 無し。 No failure, No development.
 「成長」 無くして 「成功」 無し。 No development, No success.

 今年に入ってからは特に人工知能(ニューラルネットワーク)も本格的に研究・開発を進めているのですが、人工知能の学習プロセスを見ていると、本当にトライアル・アンド・エラーの連続なんです。真っ白な「人工知能」が入出力のパターンを獲得するというのは、それこそ膨大な回数の反復練習によって実現するんです。最初から上手くできるわけではないのです。

 人間の場合は、年齢が上がって、経験値も増えてくれば、ある程度は先の事を予測(想像)して、上手に立ち振る舞えるかもしれません。とは言え、全知全能の神ではありません。しかも、ここまで社会の変化の速度が速いと、こちらもドンドン変化について行かなくてはなりませんからね。

 幾つになってもチャレンジして、ぶつかって行って、もちろん失敗することはあるかも知れないし、くじけてしまうことはあるかも知れないけれど、それでも、前を向いて進んでいく、そして成長と行動を続けていける、そんな人間でありたいですね。失敗したその時は辛いし、落ち込むかも知れません。しかし、その苦い思い出を、いつの日にか笑ってネタや教訓に昇華出来るまでに成長すれば良いのだろう、と思います。私がこれまで出会って来た凄い人達は皆「チャレンジャー」です。だからこそ、そんな彼らの影響を受けている内に、私もこうなってしまったのです。

 以前に参加した創業塾で、講師の方が確か、次のような趣旨の事をおっしゃっていました。

「色々な事を経験している、自分の強みがある、と言うのはそれだけ失敗してきたのだ、と言うこと。自分の事について多くを書けるのは、それだけ失敗して、成長してきたからなんだ。」

 確かに、私もここまで至りつくまでに、数多くの試行錯誤や失敗を繰り返してきました。「失敗」を避ける唯一の方法は「何もしない」こと。しかし、何もしなければ、「学び」も「成長」もありません。「失敗」は「成長」への「投資」なのかもしれませんね。

 そして、その紆余曲折の中で見出したこと、学んできたことを、そろそろ、これからの時代を担う若い方々に伝えていきたい、と言う想いも湧き起こっています。私も歳をとった証拠かな・・・。
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