退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「歯が立つことと立たないこと」について

2015-07-17 02:19:25 | Weblog
くもりときどき雨。夜に風が吹く。

「色の知識 名画の色・歴史の色・国の色」読了。

魅力的な色を出すためには
土壌や化学変化が肝心だったりするのにふむふむ。

ジョージ・ガモフ「1、2、3・・・無限大」を途中まで読む。

カントールの「対角線論法」の紹介や複素数平面でiをかけると90度回転になるとか。
さらには4次元空間、周期表や核分裂の話まで。

「歯が立たない部分」は適当に読み流して。
とりあえず文章の「快適さ」に身をまかせる感じ。

さて。

母親が実家の鹿児島に行ったので昨日から「ひとり暮らし」。
久方ぶりに「料理まがい」のことを少々。

それは別に構わないのだけれど
先日治ったはずの「親知らず」がまた再発。

痛みは特にないので日常生活に支障はない。
常に「飴をくわえたような顔」で過ごすのもまた一興か。

まだ「ブツ」は歯ぐきの中に埋まったままなので
本格的に治療するためには「口腔外科」も兼ねた歯医者に行く必要がありそう。

おそらく原因は「意識と実際の差」だと思われる。
「疲れた自覚」がないまま「疲れている」らしい。

要は「年のせい」ということ。
ある種の「現実認識装置」として抜かずに取っておきたい気持ちもなくはなく。

やはり自分は肝心なところに気付かないタイプだと思った次第。
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「オアシス」について

2015-07-16 02:17:48 | Weblog
晴れのちくもり。深夜になって雨。

城一夫「色の知識 名画の色・歴史の色・国の色」を読み始める。

先史時代からポスト・モダン。
あるいはジョットからマーク・ロスコまで。

いずれも綺麗なので見ていて楽しく
次はどんな色が出てくるのだろうと頁をめくる手も軽快。

文明や画家、国の名前の付いた色をあれこれ知る。
丸の中に表されるものよりやはり絵の中のそれが素敵。

時代によって変わる色の意味などもあってふむふむ。
絵の中ではカンディンスキーの「コンポジション No.7」(上から9番目)が印象に残る。

ティツィアーノ、エル・グレコ、ベラスケス、ルーベンス、フェルメール
ドラクロワ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、ロートレック、マティス、シャガールも。

厚味と迫力あるいは軽味と正確さ。
乱舞する色彩やおだやかに包み込むものなど。

その中では「ショッキング・ピンク」もむしろ調和を見せ
今どきの「目に毒々しいもの」との違いを際立たせるようで。

文句なしに綺麗なものを見ると幸せになれる。
そうした「時間の使い方」を知っておいてもいいだろう。

翻ってわが国を思えば
印象派に影響を与えた浮世絵のみならず美しいものは結構あって。

普段「砂漠」に暮らしていると
ついつい「オアシス」を求めたくなるものではある。
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「神話と命名の関係」について

2015-07-15 02:21:41 | Weblog
晴れ。相変わらず暑い。

マイク・ブラウン「冥王星を殺したのは私です」を読む。

数々の「新星発見」をなしとげながら一方で妙な「陰謀」がありつつ
私生活では結婚・子育てに邁進する著者のちょっと「おかしな感じ」がなかなか。

自らの発見をフイにしてまで「望ましい惑星の定義」にこだわるあたりも
「好ましい人物」であることが伝わってくる。

「宇宙」と「ドメスティック・ユーモア」の結合。
なるほどこういうパターンもあったかという快作。

星の命名に関する神話や語源なども楽しめる「おまけ付き」。
「水金地火木土天海冥」の英語ヴァージョンなども。

「My Very Educated Mother Just Served Us Nine Pizzas」
それぞれの惑星の頭文字を取って「あいうえお作文」よろしく文を作った模様。

Mercury(水星)・Venus(金星)・Earth(地球)・Mars(火星)・Jupiter(木星)
Saturn(土星)・Uranus(天王星)・Neptune(海王星)・Pluto(冥王星)。

「惑星」を表す「planet」は「古代ギリシャ語」で「さまよえる星」という意味。
だからこそ「惑星」という漢字が当てられていて。

星が曜日に関係していることは言わずもがな。

「月曜(Moon)と土曜(Saturn)」はわかりやすいものの
「火曜」は「古代ゲルマン神話のティウ」が起源で「Mars」は「古代ローマの軍神」。

「水曜」は「ゲルマン神話の死神ウォーデン」、「木曜」が「北欧神話の主神トール」から。
「Jupiter」は「ローマ神話の最高神ユピテル」。

「金曜」は「北欧神話の夫婦愛の女神フリッガ」が元で
もちろん「Venus」は「ローマ神話の女神」であることなど。

唐突だが映画「日曜はダメよ」(’60)に主演したメリナ・メルクーリの「メルクーリ」は
「Mercury=マーキュリー」のことだったのね。

「マーキュリー」と言えば日本での評価が世界につながった
英国のロックバンド「クイーン」のヴォーカル、フレディー・マーキュリーを思い出すわけで。

「AU= Astronomical Unit=天文単位」は「地球から太陽までの距離」を表す。
「ウラヌス=ウラニウム」「ネプチューン=ネプツニュウム」「プルートー=プルトニウム」。

さらに身近だと「チタン=タイタン=ギリシャ神話の巨神族」。

星の名も元素の名前も「神話」から。
そういう興味の持ち方も許してくれる本書を是非。
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「お互い様であること」について

2015-07-14 02:54:49 | Weblog
くもり。今日も暑い。

岸政彦「街の人生」を読む。

日系南米人でゲイのルイス、男女半々の感覚を持つ「女」になったりか
摂食障害のマユ、風俗嬢のシングルマザーよしの、そして「西成のおっちゃん」。

対象はたまたま「マイノリティー」に絞られているけれど
社会学者である著者が敢えて「人生の断片集」として出したもの。

「理論」や「物語」にとらわれず
出来るだけそのままの形でインタヴューを活字にした模様。

さまざまな「現実」のひとかけらは
自分とは異なる「他者の思い」を身近なものに。

繰り返すがわれわれの知る「現実」はどう切り取っても「一部分」にしかすぎない。
ならばいろんな「光の当て方」で見えてくるものが違う方が楽しいのだとしておく。

実はこの世に「生まれること」は自分のあずかり知らぬ「不自由」を背負うことでもある。
だからこそできる限り「自由」でいたくなる気持ちも出てくるという「仕組み」。

人ひとりが生きることは「実験」。
そこに「正解」などを求める「野暮」はしたくないもの。

いたずらに「好き嫌い」を優先する前に
とりあえず「現実」を見る用意くらいはないと。

その種の「ゆとり」がないと人はついつい「敵」を見つけることに腐心し
それさえ取り除けばという「ニセモノの正義」に溺れることは知っておきたい。

少なくとも「マイナスを消す作業」より「プラスを謳歌する作業」がマシ。
やはり「いいもの」に触れるかどうかが重要な気がする。

ただそう思ったからといって「最短距離」を求める発想はむしろ貧しく
きちんと「身銭」を切ってそれぞれに歩くのが「基本」。

「苦さ」を味わったものは「甘さ」を醸し出せる。
案外単純な「事実」があったり。

とにかくお互いに「寿命」までやるしかなさそう。
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感想あれこれ

2015-07-13 01:31:02 | Weblog
くもりときどき晴れ。暑い。

昨日は仕事の都合でちょいと遅れてクインビー。

そこそこ盛況で知り合いの夫婦も。
いつものようにあれこれ話し帰り際に伊集院静の人生相談本を貸す。

ふたりとも活字はあまり得意でないと言うので読みやすいものを。
久方ぶりにペースを上げて飲んだら帰宅後爆睡した次第。

2週間ぶりに図書館へ。

能町みねこ「呻け!モテない系」を読む。

「自意識をこじらせる女子たちの生態」のあれこれ。
6年前の作品なので現在はさらに「進化」しているのだろうか。

TVで見かけた著者の姿と発言が面白かったので借りてきたもの。
紹介された彼女たちにはできればもっとお気楽に暮らしていただきたいところ。

もっともそうはいかないのが「自意識の壁」か。
程度の差はあれ誰にでも「自分のルール」はあるとして。

深夜ウィンブルドンでジョコヴィッチが優勝したのを確認する。

その事実にとりわけ感慨はない。
むしろフェデラーの「息の長さ」に感動を覚える。

熱心なファンではないので詳細は不明だけれど
テニスの歴史の中で十数年にわたってトップの座に関わり続けたプレイヤーはいるのだろうか。

おまけに今回の試合内容も最初の2セットがタイブレークで「一勝一敗」だもの。
彼のテニスに対する情熱の源に興味津々。

マル激を観る。

一般的には借金を返さないギリシャが「悪者扱い」ではあるものの
ドイツの銀行などが返せるあてもない金を貸したという側面もあるらしい。

「負債額」が大きければ大きいほど
逆に返済側の態度も大きくなったりするという「法則」になるほど。

「経済的な初期条件の差」に関係なく「ルール」を押し付けるドイツよ。
EU加盟国が増えその中での「格差」があらためて問題として浮上した模様。

「グローバル経済の論理」はとにかく「弱者切り捨て」が基本だと再確認。
数多くの人々に「普通の暮らし」を保障しない「経済」など正直どうでもいい。

繰り返すが「貧乏は正しい」。
少なくとも自らの「生活レベルの維持」のために他人を犠牲にするなかれ。

その一方。

維新の党の安保法案に対する「対案」によって政府の「意図」を理解する補助線はできたと。
ただし「相手の土俵」に乗ったままだとむしろ政府を助ける役目を果たすことになる危険も。

前回の選挙でも与党より野党のトータル票の方が多かったことを考えれば
ここで「野党連合」が出来なければそれは「安保法案成立」は「どうでもいいこと」になるなど。

そのカギは共産党にあるようだが
むしろ影が薄い民主党に大いに問題があるとのこと。

世論調査では今の内閣への反対が賛成を上回っていたり。
その「追い風」を活かせなければあらゆる「発言」が「無意味」になることを野党は知るべし。
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「子どものダメさと歴史の狡知」について

2015-07-11 02:42:26 | Weblog
くもりときどき晴れ。暑い。

仕事の都合で久方ぶりに散歩。

2時間ほどひたすら歩く。
平坦な道にも関わらず何度かつまずく。

さすがに疲れて道沿いのデニーズでひと休み。
もう一冊用意していた本も読む気にならず。

伊集院静「悩むが花 大人の人生相談」を古本屋で買って読む。

相談相手を引き受けた当人でなくとも
「これらの人々のどこが『大人』なのか」と思うのみ。

「ただ年を重ねた子どもたち」が「どうでもいい相談」をしている現実よ。
なるほど「わが国の首相」がその代表であることに納得する。

繰り返すがどうしてわれわれはこんなに「劣化」したのか誰か説明してくれ。
首相官邸前でデモをした若者たちはせめて「まとも」だと思いたいもの。

深夜ポール・ヴァーホーヴェン「インビジブル」(’00)を久方ぶりに再見。

「リービング・ラスベガス」(’95)のエリザベス・シューが懐かしく
ケヴィン・ベーコンの怪演ぶりを確認する。

学校の保健室にあった「人体見本」のリアル版を観たい人は是非。
「透明人間」になった男が考えることはいかにも「下品」で笑える。

そこがこの監督のいいところだったり。
もっとも現実にこの手の人間がいたら厄介なだけだけれど。

市川昆「犬神家の一族」(’76)に登場する「助清」の味わいもあり。
とりあえず「フィクション」ならOKということで。

とはいえ今の現実には「フィクションを超えた劣悪さ」があると言うべきだろう。
母国語を通じてこれほどに「まともな議論」ができないことを恥じよう。

「歴史の狡知」はまだまだ「堕ちよ」というのか。
とりあえず「底」が見たいものではある。
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「キャラクターふたつ」について

2015-07-10 02:25:10 | Weblog
くもりときどき雨。蒸し暑いこと夥しい。

昨日はまた寝てしまう。
ちょいと飲むペースが早かったか。

ヤマザキマリ「男性論 ECCE HOMO」を読む。

大ヒットマンガ「テルマエ・ロマエ」の作者は案外「激しいタイプ」だった模様。
その「日本批判」が一度も海外に行ったことのない自分のそれと似ていなくもなく。

「ナンバーワンでなくオンリーワンでいい」という「欺瞞」については
大いにうなずくのみ。

「時空を超えたお付き合い」をすることの重要性についても同様。
もっともこちらは「リアル」では至極平凡な毎日を送っていて。

自分に正直であることがわが国においてはついつい「摩擦」になるのにふむふむ。
「弁護士を用意すること」が「敵対」につながることはいかにも「らしい」。

わが国の男女の「成熟拒否」ということについてあらためて思った次第。
できれば「大人のお付き合い」をしたいものの我が身を振り返れば嘆息するのみ。

キング夫人「センターコートの女王」を古本屋で見つけて読む。

「キング夫人」というのはウィンブルドンで20タイトルを獲得したテニスプレイヤー
「ビリー・ジーン・キング」のことで、「夫人」は現代だとたぶん「アウト」な呼び方。

オリジナルは82年で文庫は83年に出た模様。
気は短いが人見知りで、夫がいながら女性と付き合ったというスキャンダラスな側面も。

「『女子』テニス」が「男尊女卑」の下に誕生し
「アマチュア」という「曖昧な形」で「スポーツ」として評価されなかった歴史を知ろう。

彼女の「幸せ」は何と言っても「安定した夫」と付き合うことが出来たこと。
「ある種の強烈なキャラクター」には必ず「受け手」がいる。

「アイスドール」と呼ばれたクリス・エバートの「素顔」やナブラチロワなどに対する評価、
男子ではコナーズ、レンドル、マッケンローなどの名前も。

思い返せば当時はよくテニスを観ていたもの。
もちろんコートではなくTVの上での話だけれど。

「伝統的な男女観」の中で育ったものの「女子の地位向上」のために戦うことになり。
ただし「俗流ウーマン・リブ」とは一線を画すあたりの「微妙なバランス」がなかなか。

それにしてもこの時代に
「人を好きになっただけ」という形で「バイセクシャル」であることを公表したのはスゴい。

「That's me=それが私」。
「攻撃的なテニス」が身上だった彼女の「面目躍如」とでも言えばいいのか。

いやはや。
やはり「キャラクターのある人物」は面白い。
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「圧倒的な贈与という『教育』」について

2015-07-08 03:35:36 | Weblog
雨。今日も夜になって止む。

「帝国の構造 中心・周辺・亜周辺」読了。

後半は日本が「亜周辺」ゆえに中国の皇帝を超える「天皇」を生み
国内では常に「正統性」を調達するための「装置」となったこと。

徳川幕府が自らの権力維持のために行った「参勤交代」が
結局はその「交通」によって各藩の「力」を伸ばしてしまったこと。

「帝国」は「宗教的寛容」によって版図を広げるもので
「植民地を増やす」のみの「帝国主義」とは異なるものであること。

カントの「平和論」をフロイトの「死の欲動」を元に読み直し
「強迫反復」が「人の自然」として「交換様式D」をもたらす可能性があることなど。

なるほどという「発見」とふむふむという「確認」と。
読後感が「もっとちょうだい」になるあたり著者のパワーはまだまだ健在。

「読書会」を開いて「異なる感想」を聞いてみたいもの。
「世界史および日本史」を参考文献を重ねながら読み込む作業を「チェック」したい。

「圧倒的な贈与」によって「債務意識」を持たせるという「教育」は面白い「形式」。
各地で試す価値はありそう。

とりわけ「まともな人」を育てるためには役立つのではないか。
もっともそれが「圧倒的な贈与」だと感じる「素質」がなければならないけれど。

言い換えれば「あるレベル」を知ってしまうと
「それ以下の仕事」が出来なくなる仕組みだと言ってもいい。

そのことは自動的に人に「上を向いて歩く」こと以外の「選択肢」を失わせ
いたずらに「下を向いて歩く」ことの愚を悟らせることにもなるだろう。

「森羅万象に多情多恨」でさえあれば自ずからそうなるはず。
そこでは「非知性主義」などという「逆恨み」の跋扈する隙間などない。
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「圧倒的なものふたつ」について

2015-07-07 02:55:32 | Weblog
雨のちくもり。夜になって止む。

柄谷行人「帝国の構造 中心・周辺・亜周辺」をまた読み始める。

ようやく「論理」が見えてふむふむ。
やはり先回はこちらの調子がかなり悪かった模様。

著者の発想の元は「転倒」。
「因果関係」が「事後」にしか見出されないものであることなど。

ここに「アドラー心理学」など持ち出すと
「物語の展開」が大いに変わること請け合い。

「物証」はなくとも「抽象力」で物事がわかるというのも基本。
なるほど英語圏で「theorist=理論家」と呼ばれるのもわかるというもの。

フロイトの「死の欲動」については個人的に「体感」できるほどわかるものの
そのあたりを明日もう一度しっかり確かめたい。

先日マスターにもらったCDを聴く。

「FAVE RAVES」というバンドのヴォーカル青山春裕の「喉の強さ」に驚く。
O.V.ライト、アル・グリーン、ウィルソン・ピケットらのカバー。

ここまで強烈な「唸り」を響かせて歌う人がいたのねという感じ。
是非本場の「アポロ・シアター」あたりで歌ってもらいたいところ。

クインビーのある今池にちなんでこれを。
以前このライブハウスではメイヴィス・ステイプルズを観たはず。

これだけ実力のある人を放置してはいけない。
とりあえずじっくりお楽しみくださいと言っておく。

「圧倒的なもの」は常に素晴らしい。
このところの「湿気」など吹き飛ばす爽快さを是非。
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「退化」について

2015-07-06 02:28:44 | Weblog
くもり。だったはず。

煙草も買いに出ず一日中ひきこもり。

竹田という皇族関係の男が声の大きさで何事かを言う姿が不愉快。
「TVの演出」だとは知りつつそうした「演技」をして何がしたいのか。

「朝生」に出たりする時は案外おとなしいのに。
少なくとも「議論」において重要なのは「声の大きさ」ではないはず。

普通に話せば聞けるところもあると思うのだが。
そういうキャラを引き受ける「意味」がよくわからない。

仮にそれが「意味不明なことを言う左翼」に対する「まともな人」の役割だとしても
最低限「声の大きさ」でなく「論理の質」を大事にしていただきたいもの。

「非論理的な相手」に対してできるだけ「論理を尽くすこと」。
その後はむしろ笑うべきだろう。

マル激を観る。

「日本会議」とやらがいつのまにか一定の力を持つ勢力になり
安倍首相以下「お友だち」もその関係者が多いらしい。

ある種の「不安」に駆られる人々は「わかりやすい敵」を見つけ
「論理」に関係なく「敵」をやっつけることが最優先な模様。

端的には「お前のしょぼい不安を『世界』に持ち込むな」ということだったり。
とはいえそういう人々が少なくない「現実」は確かにあるようで。

意見の異なる人々と「普通の会話」をすること。
それがどうやら相当に難しいことになっているのか。

さて。

NHK「生命大躍進」を観る。

「大脳新皮質」が発達し「言葉」を使えるようになったのが「人類」の特徴だとして。
その「言葉」の習得を嫌う子どもたちが少なくない「事実」は「退化の印」なのか。

あるいは「論理の質」が問われなくなって久しい「現代」を
どのように解釈したらいいのかなど。

テクノロジーでそれがどうにかなるのならさっさとしてくれ。
ただしそれは「意志」を捨てることになるのも忘れずに。
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