退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「お互い様であること」について

2015-07-14 02:54:49 | Weblog
くもり。今日も暑い。

岸政彦「街の人生」を読む。

日系南米人でゲイのルイス、男女半々の感覚を持つ「女」になったりか
摂食障害のマユ、風俗嬢のシングルマザーよしの、そして「西成のおっちゃん」。

対象はたまたま「マイノリティー」に絞られているけれど
社会学者である著者が敢えて「人生の断片集」として出したもの。

「理論」や「物語」にとらわれず
出来るだけそのままの形でインタヴューを活字にした模様。

さまざまな「現実」のひとかけらは
自分とは異なる「他者の思い」を身近なものに。

繰り返すがわれわれの知る「現実」はどう切り取っても「一部分」にしかすぎない。
ならばいろんな「光の当て方」で見えてくるものが違う方が楽しいのだとしておく。

実はこの世に「生まれること」は自分のあずかり知らぬ「不自由」を背負うことでもある。
だからこそできる限り「自由」でいたくなる気持ちも出てくるという「仕組み」。

人ひとりが生きることは「実験」。
そこに「正解」などを求める「野暮」はしたくないもの。

いたずらに「好き嫌い」を優先する前に
とりあえず「現実」を見る用意くらいはないと。

その種の「ゆとり」がないと人はついつい「敵」を見つけることに腐心し
それさえ取り除けばという「ニセモノの正義」に溺れることは知っておきたい。

少なくとも「マイナスを消す作業」より「プラスを謳歌する作業」がマシ。
やはり「いいもの」に触れるかどうかが重要な気がする。

ただそう思ったからといって「最短距離」を求める発想はむしろ貧しく
きちんと「身銭」を切ってそれぞれに歩くのが「基本」。

「苦さ」を味わったものは「甘さ」を醸し出せる。
案外単純な「事実」があったり。

とにかくお互いに「寿命」までやるしかなさそう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 感想あれこれ | トップ | 「神話と命名の関係」について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事