退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「キャラクターふたつ」について

2015-07-10 02:25:10 | Weblog
くもりときどき雨。蒸し暑いこと夥しい。

昨日はまた寝てしまう。
ちょいと飲むペースが早かったか。

ヤマザキマリ「男性論 ECCE HOMO」を読む。

大ヒットマンガ「テルマエ・ロマエ」の作者は案外「激しいタイプ」だった模様。
その「日本批判」が一度も海外に行ったことのない自分のそれと似ていなくもなく。

「ナンバーワンでなくオンリーワンでいい」という「欺瞞」については
大いにうなずくのみ。

「時空を超えたお付き合い」をすることの重要性についても同様。
もっともこちらは「リアル」では至極平凡な毎日を送っていて。

自分に正直であることがわが国においてはついつい「摩擦」になるのにふむふむ。
「弁護士を用意すること」が「敵対」につながることはいかにも「らしい」。

わが国の男女の「成熟拒否」ということについてあらためて思った次第。
できれば「大人のお付き合い」をしたいものの我が身を振り返れば嘆息するのみ。

キング夫人「センターコートの女王」を古本屋で見つけて読む。

「キング夫人」というのはウィンブルドンで20タイトルを獲得したテニスプレイヤー
「ビリー・ジーン・キング」のことで、「夫人」は現代だとたぶん「アウト」な呼び方。

オリジナルは82年で文庫は83年に出た模様。
気は短いが人見知りで、夫がいながら女性と付き合ったというスキャンダラスな側面も。

「『女子』テニス」が「男尊女卑」の下に誕生し
「アマチュア」という「曖昧な形」で「スポーツ」として評価されなかった歴史を知ろう。

彼女の「幸せ」は何と言っても「安定した夫」と付き合うことが出来たこと。
「ある種の強烈なキャラクター」には必ず「受け手」がいる。

「アイスドール」と呼ばれたクリス・エバートの「素顔」やナブラチロワなどに対する評価、
男子ではコナーズ、レンドル、マッケンローなどの名前も。

思い返せば当時はよくテニスを観ていたもの。
もちろんコートではなくTVの上での話だけれど。

「伝統的な男女観」の中で育ったものの「女子の地位向上」のために戦うことになり。
ただし「俗流ウーマン・リブ」とは一線を画すあたりの「微妙なバランス」がなかなか。

それにしてもこの時代に
「人を好きになっただけ」という形で「バイセクシャル」であることを公表したのはスゴい。

「That's me=それが私」。
「攻撃的なテニス」が身上だった彼女の「面目躍如」とでも言えばいいのか。

いやはや。
やはり「キャラクターのある人物」は面白い。
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