退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「子どものダメさと歴史の狡知」について

2015-07-11 02:42:26 | Weblog
くもりときどき晴れ。暑い。

仕事の都合で久方ぶりに散歩。

2時間ほどひたすら歩く。
平坦な道にも関わらず何度かつまずく。

さすがに疲れて道沿いのデニーズでひと休み。
もう一冊用意していた本も読む気にならず。

伊集院静「悩むが花 大人の人生相談」を古本屋で買って読む。

相談相手を引き受けた当人でなくとも
「これらの人々のどこが『大人』なのか」と思うのみ。

「ただ年を重ねた子どもたち」が「どうでもいい相談」をしている現実よ。
なるほど「わが国の首相」がその代表であることに納得する。

繰り返すがどうしてわれわれはこんなに「劣化」したのか誰か説明してくれ。
首相官邸前でデモをした若者たちはせめて「まとも」だと思いたいもの。

深夜ポール・ヴァーホーヴェン「インビジブル」(’00)を久方ぶりに再見。

「リービング・ラスベガス」(’95)のエリザベス・シューが懐かしく
ケヴィン・ベーコンの怪演ぶりを確認する。

学校の保健室にあった「人体見本」のリアル版を観たい人は是非。
「透明人間」になった男が考えることはいかにも「下品」で笑える。

そこがこの監督のいいところだったり。
もっとも現実にこの手の人間がいたら厄介なだけだけれど。

市川昆「犬神家の一族」(’76)に登場する「助清」の味わいもあり。
とりあえず「フィクション」ならOKということで。

とはいえ今の現実には「フィクションを超えた劣悪さ」があると言うべきだろう。
母国語を通じてこれほどに「まともな議論」ができないことを恥じよう。

「歴史の狡知」はまだまだ「堕ちよ」というのか。
とりあえず「底」が見たいものではある。
コメント
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