退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「圧倒的な贈与という『教育』」について

2015-07-08 03:35:36 | Weblog
雨。今日も夜になって止む。

「帝国の構造 中心・周辺・亜周辺」読了。

後半は日本が「亜周辺」ゆえに中国の皇帝を超える「天皇」を生み
国内では常に「正統性」を調達するための「装置」となったこと。

徳川幕府が自らの権力維持のために行った「参勤交代」が
結局はその「交通」によって各藩の「力」を伸ばしてしまったこと。

「帝国」は「宗教的寛容」によって版図を広げるもので
「植民地を増やす」のみの「帝国主義」とは異なるものであること。

カントの「平和論」をフロイトの「死の欲動」を元に読み直し
「強迫反復」が「人の自然」として「交換様式D」をもたらす可能性があることなど。

なるほどという「発見」とふむふむという「確認」と。
読後感が「もっとちょうだい」になるあたり著者のパワーはまだまだ健在。

「読書会」を開いて「異なる感想」を聞いてみたいもの。
「世界史および日本史」を参考文献を重ねながら読み込む作業を「チェック」したい。

「圧倒的な贈与」によって「債務意識」を持たせるという「教育」は面白い「形式」。
各地で試す価値はありそう。

とりわけ「まともな人」を育てるためには役立つのではないか。
もっともそれが「圧倒的な贈与」だと感じる「素質」がなければならないけれど。

言い換えれば「あるレベル」を知ってしまうと
「それ以下の仕事」が出来なくなる仕組みだと言ってもいい。

そのことは自動的に人に「上を向いて歩く」こと以外の「選択肢」を失わせ
いたずらに「下を向いて歩く」ことの愚を悟らせることにもなるだろう。

「森羅万象に多情多恨」でさえあれば自ずからそうなるはず。
そこでは「非知性主義」などという「逆恨み」の跋扈する隙間などない。
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