退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「おなごのリアル」について

2011-07-02 04:27:05 | Weblog
深夜にちょいとyoutube。

レディ・ガガ「born this way」のヴィデオ・クリップを観る。

歌詞を確認したところ
「だってそうなんだもの」という「おなご印満開」の内容。

歌声はEurythmixのアニー・レノックスで
パフォーマンスはmadonnaという解釈をしておく。

「80年代の再来」と短くまとめてみるとわかりやすいのか。
「マニフェスト・オブ・ザ・マザーモンスター」という語りで始まる。

映像は性器を強調しながらまるで「エイリアン」。
「新しい種族の登場」を歌いながら案外昔の「引用」で。

要は「好きに生きればいいのよ」というメッセージの横溢。
「おなごへの応援歌」と思えばいい。

「イオナ、私は美しい」という化粧品のCMがかつてあったけれど
それをかなり「下世話」にした雰囲気がむしろ「本音のリアル」を生むという仕組み。

実際の彼女は身長155cmと外国人の平均から見るとかなり小柄で
裕福な家庭に生まれながらそれがめんどくさかった模様。

言うまでもないが「レディー・ガガ」という名前は
クイーンの「レディオ・ガガ」に由来する。

「素肌をさらす」という行為が「本当の私を見せる」という具合。
わが国でもそのようなおなごは少なくない。

ある意味あきれるほど「シンプル」なメッセージは
なるほど全世界に伝わりやすくなるのも「当然」ということで。

個人的にはもう少し「工夫」があってもいいだろうと思いつつ
あらためて「おなごに対する抑圧」というものの大きさについて再認識する次第。

彼女に「バーブラ・ストライサンド」の影が見えるのは
「深読み」に過ぎるのかどうか。
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「用意しておくこと」について

2011-07-02 02:24:45 | Weblog
くもり。蒸し暑い。

「郵便的不安たち」を「Ⅲ」の後半まで読み進む。

ここには「望ましい知的水準」があるということを今さらながら確認する。
もちろんそれは「個人的な趣味」としての「感想」。

今後それが「趣味」として「成立」するのかどうかも疑わしいほど
少なくとも自分の周囲にいる人々は圧倒的に「読解力」を持っていない。

彼ら彼女らの中心は常に「自分」にあり
その「自分」を疑う前に必ず「他人もしくは対象が悪い」のが基本。

「七度尋ねて人を疑え」ということわざもあるものの
どうしても「謙虚」になれないらしい。

面白いのは彼ら彼女らが「結果」を素直に振り返れないこと。
「同じ失敗」を繰り返し「反省の弁」も述べながら具体的な「変化」は一向にないままで。

それが「DV=ドメスティック・バイオレンス」あるいは「反復脅迫」と同じことならば
そのあたりの「因果」を探るあたりに「解決策」はあるのか。

少なくともひしひしと感じられるのは
彼ら彼女らは「自分が悪かった」と認めると「すべて」が崩れてしまうように思っていること。

その一方で「無知」に居直って
「自分はこうしか出来ない」と多寡をくくる態度も見られる。

「向上心」というものが「一定の基準」によって「担保」されるものであるとするなら
どこかでそれを見つけてもらいたいもの。

どんな「世界」にも文句なしの「凄み」を持っているものはある。

その「出会い」を用意すべく
あらゆる方向に「アンテナ」を向けておく「作業」だけは確保しておいていいのではないか。
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