退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

あらためて「ごっこ」について

2011-07-03 03:12:15 | Weblog
くもり。湿気多し。

「郵便的不安たち」読了。

「電力不足」という「フィクション」の中で物事が動いている。
「人々の善意」が「ウソ」によって動員されている。

何の疑いもなく「地デジ移行」をする人々も同様。
アナログテレビには「字幕」を邪魔する「カウントダウン」がこれ見よがしに。

どうせ「ウソをつく」ならもっとスマートにやっていただきたいもの。
そこまで堂々と「馬脚」を表すならいっそ「ウソ」などつくなと言いたくなるほど。

わが国の「バナナリパブリック化」はますます進行中。
「本物の右翼」はどこにいるのか。

どこにも「意志」のない結果
いたずらに「既得権益」を維持しようとする動きだけが突出して。

それでもそれなりに振る舞う必要だけは感じているのか
「ヘタな役者たち」は「ごっこ」を演じ続ける。

「ごっこ」を揶揄するだけではもはや手遅れ。
というよりその「流れ」はもはや止めようがないのだろう。

「騙す方」にも「騙される方」にもウンザリするよりない。
せいぜい好きにするがいいさ。

以前にも引用したけれど「むかうむき(向こうむき)になっているオットセイ」のつもり。

この「圧倒的なバカバカしさ」とは「違う世界」を生きる「意志」だけはある。
ときどき「引っ込め、バカ野郎」と「客席」から叫ぶこともあるかもしれないけれど。

「お前の望みはなんだ?」

映画「CURE」の萩原聖人のように振る舞いたくなる気持ちがなくもない。
コメント
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