退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

いろんな「乗り物酔い」について

2011-07-04 02:41:27 | Weblog
くもり。夕方に雨。

日垣隆「現代日本の問題集」を読む。

今から7年前の本なので話題はやや「古い」ものの
わが国ではいつものように「古い話題」が「新しい」ままで。

たとえばいとも簡単に「公約」を反故にした小泉元首相の姿は
現在の民主党にも同様に見られたり。

「第十三章 凶悪犯罪はすべて起訴すべきである」と
「第十四章 心神耗弱を廃止せよ」は年来の著者の持論で全く「正しい」。

覚醒剤やアルコールによる「酩酊」を理由に「心神耗弱」が主張され
むしろ「罪が軽くなる」のはどう考えてもおかしい。

飲酒運転によって人を殺してしまった場合には
その当人から運転免許を奪うべきだという主張ももっとも。

かつて飲酒運転が見逃されていたのは
「少々(?)飲んだくらいでは運転を誤らない」という「暗黙の前提」があったため。

実際それがどうであったのかは不明なので
統計に詳しい方面に教えていただきたいけれど。

現在では「ブレーキとアクセルの踏み間違い」による過失も少なくなく
高齢者や「運転に向かない人」の免許更新についても考える必要がありそう。

郊外や過疎地ではどうしても車に頼らずには生活できない「条件」があったりもするので
「乗り物依存」を脱する形での「街づくり」や「システム」についても同様。

宇沢弘文の古典「自動車の社会的費用」などは忘れられてしまっているのだろう。
同じテーマで現在について考えてみてもよさそうなのだけれど。

自動車会社の「都合」によって「人々の日常」が変わる一方
それらに「依存」することで「平穏な暮らし」を得ている人々も少なくないので難しいのか。

ただしそうした「平穏な暮らし」はある一部のみに保障されているもので
それ以外の比較的「多数の人々」にとって「特定の都合」はむしろ「苦痛」だったり。

どんな生き方を選ぼうとそれぞれがそこそこ「楽しく暮らせる環境」。
憲法にあるはずの「生存権」を思い出してみよう。
コメント
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