晴れ。野暮用があれこれ。
いかりや長介「だめだこりゃ」を今頃読む。
十年前の本で本人は七年前に他界。
ある時期のバンドマンの「暮らしぶり」がよくわかる内容。
出版の前年にドリフターズのメンバーだった荒井注が亡くなっていて
脱退後の彼はたしか天知茂とドラマで共演していた記憶がある。
「四流のミュージシャン、四流のコメディアン、四流のテレビ・タレント」という自己認識の下
「何様の分際で『自伝』か」と思う昭和六年(1931年)生まれの著者のスタンスが好ましい。
文章の淡白さもすがすがしく
彼の描く父親の姿も今となっては懐かしいキャラクター。
「バンス・イン・長ベエ」というある章のタイトルが
「幡随院長兵衛」にかけてあることなどもはやわかりにくいのだろう。
「カースケ=カンカンに怒る」という言葉なども
いかにも「土地柄」と「時代」を感じさせる。
あらためて生まれる時代を間違えた「悪寒」を確認する。
それはそれで仕方のないことだけれど。
若い人々には映画「踊る大捜査線」のベテラン刑事役が馴染み深いのか。
著者の生まれた年を考えると映画の中の「敬礼」には「重み」を感じずにはいられない。
それにしても「ピアノの弾けないピアニスト」荒井注はそういう人だったのか。
「そういう人に わたしもなりたい」、とか。
「家庭の事情」で実家に戻ることになりそう。
たぶんこれは「寿命を縮めること」になりそう。
相変わらずの「甲斐性の無さ」は健在。
ダメねぇ。
いかりや長介「だめだこりゃ」を今頃読む。
十年前の本で本人は七年前に他界。
ある時期のバンドマンの「暮らしぶり」がよくわかる内容。
出版の前年にドリフターズのメンバーだった荒井注が亡くなっていて
脱退後の彼はたしか天知茂とドラマで共演していた記憶がある。
「四流のミュージシャン、四流のコメディアン、四流のテレビ・タレント」という自己認識の下
「何様の分際で『自伝』か」と思う昭和六年(1931年)生まれの著者のスタンスが好ましい。
文章の淡白さもすがすがしく
彼の描く父親の姿も今となっては懐かしいキャラクター。
「バンス・イン・長ベエ」というある章のタイトルが
「幡随院長兵衛」にかけてあることなどもはやわかりにくいのだろう。
「カースケ=カンカンに怒る」という言葉なども
いかにも「土地柄」と「時代」を感じさせる。
あらためて生まれる時代を間違えた「悪寒」を確認する。
それはそれで仕方のないことだけれど。
若い人々には映画「踊る大捜査線」のベテラン刑事役が馴染み深いのか。
著者の生まれた年を考えると映画の中の「敬礼」には「重み」を感じずにはいられない。
それにしても「ピアノの弾けないピアニスト」荒井注はそういう人だったのか。
「そういう人に わたしもなりたい」、とか。
「家庭の事情」で実家に戻ることになりそう。
たぶんこれは「寿命を縮めること」になりそう。
相変わらずの「甲斐性の無さ」は健在。
ダメねぇ。