くもり。蒸し暑い。
「郵便的不安たち」を「Ⅲ」の後半まで読み進む。
ここには「望ましい知的水準」があるということを今さらながら確認する。
もちろんそれは「個人的な趣味」としての「感想」。
今後それが「趣味」として「成立」するのかどうかも疑わしいほど
少なくとも自分の周囲にいる人々は圧倒的に「読解力」を持っていない。
彼ら彼女らの中心は常に「自分」にあり
その「自分」を疑う前に必ず「他人もしくは対象が悪い」のが基本。
「七度尋ねて人を疑え」ということわざもあるものの
どうしても「謙虚」になれないらしい。
面白いのは彼ら彼女らが「結果」を素直に振り返れないこと。
「同じ失敗」を繰り返し「反省の弁」も述べながら具体的な「変化」は一向にないままで。
それが「DV=ドメスティック・バイオレンス」あるいは「反復脅迫」と同じことならば
そのあたりの「因果」を探るあたりに「解決策」はあるのか。
少なくともひしひしと感じられるのは
彼ら彼女らは「自分が悪かった」と認めると「すべて」が崩れてしまうように思っていること。
その一方で「無知」に居直って
「自分はこうしか出来ない」と多寡をくくる態度も見られる。
「向上心」というものが「一定の基準」によって「担保」されるものであるとするなら
どこかでそれを見つけてもらいたいもの。
どんな「世界」にも文句なしの「凄み」を持っているものはある。
その「出会い」を用意すべく
あらゆる方向に「アンテナ」を向けておく「作業」だけは確保しておいていいのではないか。
「郵便的不安たち」を「Ⅲ」の後半まで読み進む。
ここには「望ましい知的水準」があるということを今さらながら確認する。
もちろんそれは「個人的な趣味」としての「感想」。
今後それが「趣味」として「成立」するのかどうかも疑わしいほど
少なくとも自分の周囲にいる人々は圧倒的に「読解力」を持っていない。
彼ら彼女らの中心は常に「自分」にあり
その「自分」を疑う前に必ず「他人もしくは対象が悪い」のが基本。
「七度尋ねて人を疑え」ということわざもあるものの
どうしても「謙虚」になれないらしい。
面白いのは彼ら彼女らが「結果」を素直に振り返れないこと。
「同じ失敗」を繰り返し「反省の弁」も述べながら具体的な「変化」は一向にないままで。
それが「DV=ドメスティック・バイオレンス」あるいは「反復脅迫」と同じことならば
そのあたりの「因果」を探るあたりに「解決策」はあるのか。
少なくともひしひしと感じられるのは
彼ら彼女らは「自分が悪かった」と認めると「すべて」が崩れてしまうように思っていること。
その一方で「無知」に居直って
「自分はこうしか出来ない」と多寡をくくる態度も見られる。
「向上心」というものが「一定の基準」によって「担保」されるものであるとするなら
どこかでそれを見つけてもらいたいもの。
どんな「世界」にも文句なしの「凄み」を持っているものはある。
その「出会い」を用意すべく
あらゆる方向に「アンテナ」を向けておく「作業」だけは確保しておいていいのではないか。
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