山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

人生フルーツ

2018-09-21 00:26:17 | テレビドラマ・映画
「人生フルーツ」という映画を、数週間前に見た。

その時、人間の生き方として、こういうのがいいなあと思ったので、そのことについてぜひとも書いておきたいと思ったのだけど、なかなかうまく書くことができず、頓挫したままだった。

この映画は、「モリの居る場所」に似ていた。
上映していたのは阿佐ヶ谷のユジクという小さな映画館だったが、この映画館は、1日に、似たような映画を並べて上映するような気がする。
そのため、この日も、午前中は「モリのいる場所」を上映し、昼に「人生フルーツ」を上映していた。午後は何だったかわからない。

「モリのいる場所」は、画家熊谷守一の晩年の様子を描いたものであり、その妻役を樹木希林さんが演じていた。
そして、「人生フルーツ」は、建築家津端修一老夫妻の生活のドキュメンタリーであり、数年にわたる取材の中で津端氏の永眠にも遭遇し、その直後の様子や、残された妻の生活も映されているが、このナレーションが樹木希林さんなのだった。

この二つの映画の夫婦の暮らし方には共通点があり、自分の家の敷地を自然のままにして、今時の都会世間から離れて、そこで自然に生きている。

物欲や名誉欲などから解放されている。

人間は、自然の中の一部だと感じさせられる。それがあるべき姿なのではなかろうか。

津端修一という建築家は、戦後の高度成長の時代に、人々が暮らす家を建築すべく、大規模な公団住宅などを手掛けてきた。
山を切り開いて宅地造成などし、そこに鉄筋コンクリートの建物を建てて街を作る。
その場合、彼は、山の形を残し、樹木残して、その中で住居を作りたかったが、結果としては、山を完全に壊して林も伐採し、あとかたもなくして、そこにマッチ箱のような高層の共同住宅をぎっしりと建てるというものに変更されてしまうのだった。

台湾での住宅建築も手掛けるが、建物と建物の間隔が、狭まっていて、当初の彼の設計とは違う街ができてしまったりするのである。

そういう現実に絶望し、自分の家だけは自然に囲まれた環境とし、その後は大規模住宅の仕事にはかかわらなくなったそうだ。自宅敷地の畑や樹木からとれた作物を食べて自給自足のような生活をしている。

最後に、精神病院のようなところから、津端氏に設計の依頼があり、それに答える。神経を病む人は、自然に癒されるから、樹木に囲まれた木造の家が良い。

私が、津端修一に興味を持ったのは、阿佐ヶ谷住宅の建設に携わっていたということがあった。
何年か前、たまたま通りかかったところが、阿佐ヶ谷住宅だったのだが、まるでおとぎ話のような家なのだ。

それは公営住宅でありながら、各家に広い庭がありその庭にはブランコなどがついているのである。
果樹が植わっている家もあるし、きれいな生垣の家もあった。
そういう家が何件もある1つの街並になっているのだが、とてものどかなのである。

阿佐ヶ谷ユジクで「人生フルーツ」が上映されるのは、阿佐ヶ谷住宅とのつながりもあるような気がした。

私が通りかかったときは、その阿佐ヶ谷住宅が、ちょうど壊されるという頃で、多くが空き家になっていたようだ。そのあとに高層の大きなマンションが何棟も建てられた。そうなると、どれだけ多くの戸数ができたんだろうか。

戦後まもなく建てられた公営住宅というのは、木造庭付きのものが多かったかもしれない。
今でも、土地さえあれば、高層住宅なんか要らないはずだ。

本来、住宅はせいぜい2階建てでいいと思う。人々は都会に集まらず日本全国に散らばったほうがいい。
(これは私の考え。といいながら東京でコンクリートの家に住んでいる。)

鉄筋コンクリートの中層住宅でも、今は環境共生型の街づくりなどを目指しているものもあるが、なかなか全国的に普及するものではない。

ところで、樹木希林さんは、出演していた映画などから考えると、人が自然の一部だって思っていた人だと思うし、この地球に生まれて、死んで行くことって生物として自然なことなんだって思っていたと思う。

富や名声なんてどうでもいいことで、大切なのは、自然界の一部として、一日一日を丁寧に生きていくことであり、人と人とのつながりや、特に身近な家族とすごす時間を大切にすることだ。

樹木希林さん出演映画では「万引き家族」・「日々是好日」も見てみたい。

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