「東京の流儀」を読んでいて、著者・福田和也氏は、江戸っ子であるため、山の手・下町の認識がしっかりあり、一般人のいい加減な認識とは違っているらしい。
一応読んだけど、江戸っ子でない自分には土地勘がないので、わからない。
「私、東京に45年以上住んでます」って言っても、それは本来の山の手にも属さないような地域なのであって、「東京人だから東京のことはほぼ分かるぜ」と思うのは大間違い。
「福田和也氏と同じ東京人である」などとは、言える分際じゃなかったようだ。
で、ネットで山の手とはどこなのか、適当に調べてみた。
江戸時代の頃は、江戸城と武家屋敷のあるあたりを山の手と言い、それは麹町・赤坂・芝・四谷・牛込・小石川・本郷あたりだったらしい。
その後、大正時代の関東大震災以後は、山の手の区域が広がり、大森・目黒・世田谷・渋谷・新宿・中野・杉並・豊島・王子・板橋・練馬、等々も山の手の部類になったようだ。
でも、このあたりについては、本来の山の手ではなく、あとで開発された土地なのであって、西の方は元々は、武蔵野の荒野の中みたいな感じの未開発の地であったのだろう。
だから、やっぱり山手線の内側かその近隣あたりがせいぜいって感じ。
一方、下町は、現在では、足立区、葛飾区、荒川区、台東区、墨田区、江東区、江戸川区の7区をいうのだそうだ。
昔はどうだったか? 面倒くさいので省略します。海に近いほうでしょうね。
江戸の下町に住んでいる人のことを「江戸っ子」っていうのかと思ったけど、山の手に住んでても江戸っ子なのか、町人が江戸っ子って感じがするけど、代々、昔ながらの山の手に住んでますって言ったら、それが一番品の良い東京人って感じかな?
でも、江戸っ子っていえば、3代続けて東京に住んでる人を言うっていうのが一般的なようだ。
・・・
ところで、静岡県人のとんだ間違いなんだけど
昔、東京に親戚が住んでいた。父の弟が若い時に東京に働きに行って、そこで知り合った東京生まれ、東京育ちの女性と結婚し、そこに定住した。そして、子供が生まれたので、それが私の従兄妹である。
その従兄妹家族が夏休みになると伊豆の我が家に泊まりに来ては、海水浴などして楽しんで行ったものだった。
その家族の品の良い事と言ったらない。やはり言葉が東京の言葉なのだ。
伊豆生まれの叔父までが、とてもあか抜けていて、言葉もハキハキしており、笑顔も明るい人だった。
叔父は血のつながりがあり親近感があったが、その妻子となると都会の人間というだけで、とっつきにくく、一歩引いてしまって、年齢の近い従兄妹とも気軽に話したり遊んだりはできない気分だった。
今考えると人見知りである。東京の従兄妹のほうでも、それほど親しくかかわりを持とうとはしなかったように思う。
それで、実家母は、その東京の人を、「山の手の人だから品がいい」と言っていたのだった。
いやいや、実は今になってわかったんだけど、その親戚は江東区に住んでいたのだ。深川である。
山の手じゃないじゃん、下町じゃん。
静岡県の人間にとっては、東京=山の手=品が良い、みたいに思っていたのだった。
まあ、確かにその人たちは下町気質ではなかったようだ。
江戸っ子風ではないのだった。
そうして、最近分かったことなのだが、その東京生まれの叔母の両親が、どこか他県から東京に移住したのだそうだ。
だから、元々東京の人ではなかったのである。
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