83歳で身辺整理をしたとき、全体量のほんの一部だが、余生の暇暇に眼を通したいと思って残したものがある。しかし、その後、点検することなく4年が過ぎた。
今日、ふと思い立って、それを取り出してみた。
そのなかに混じって、大型の茶封筒があった。中身を見ると、紙に刷られた「寒山拾得」である。
かつては、襖にピンで留めて、よく見ていた思い出の品である。が、(幾年前であったか)襖の張り替えをするために取り外し、その折、封筒に収めたまま、今日に至ったものである。
早速、「寒山拾得」を両面テープで襖に貼り、しみじみ眺めた。
1972年、恩師が日中文化交流のため訪中、その際のお土産として、いただいたものである。
(1972年といえば、日中国交正常化のスタートした年でもある。)
約半世紀前の昔。
「寒山拾得」は、日本画家によってもよく描かれたし、森鴎外にも『寒山拾得』と題する作品があったことを思い出した。そこで、早速、全集を取り出して、短編(というより小品)を読み直した。大正5年の作品である。『寒山拾得』には、『寒山拾得縁起』が添えられている。
卒論を書くために、森鴎外の全作品を一応は読んだはずなのだが、老いた今、一短編を読み直しただけで、新しい発見があった。『寒山拾得縁起』の部分で、鴎外の、意外なユーモアセンスに気づき、面白く感じた。そして、鴎外の作品をもう一度じっくり読み直したいなと思ったりもした。(しかし、果たせぬ夢に終わるだろう。)
沢山の書簡類は、すでに処理してしまったのだが、師の訪中の際、届けられた手紙は、冊子にしてとどめている。当時の中国が記された貴重な資料でもあるので。こちらは、鴎外の小品のように簡単には読めない量なので、また日を改めて読み返したい。
中身を取り出した後の封筒も残していた。切手がおもしろい。その国の時代を映す一面もあって。(写真)
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