寒々とした朝だった。
早くも、散歩をサボりたい気持ちが動いたけれど、何とか自らを鼓舞して、八時を過ぎて家を出た。
折りたたみの傘を手に持って。
海辺に出てみると、人気のない浜に、焚き火が燃えていた。(写真)
浜の住民が、波打際に打ち寄せたゴミを集めて、火をつけられたものであろう。人影は見えなかったけれど、放たれた火は、ゴミの分量に見合った炎を細々と上げていた。風のない朝なので、火も煙も揺らぐことなく、まっすぐに上っていた。
炎の色の美しさと、微妙に変化するさまを佇んで眺め、散歩には、こうした予期せぬ出会いがあるから楽しいのだと思った。
帰宅したら、九時。家に入る前に、伸び始めた庭の雑草を塵取り一杯分ほど抜く作業をした。毎日少しずつでも怠りなくやれば、家の庭が雑草園にはならないですむだろう、と。
遅い朝食をとっていると、友達から電話がかかってきた。中学時代の同窓会に、一緒に出かけないかとの誘いであった。4月に行われるのだという。そうした集いはもう最後になるかもしれないから、とのことだった。
しかし、私が会いたい友達は、みな鬼籍の人なのである。大勢の同窓生と会ってみても、一時のはかない懐かしさに過ぎないような気がする。しかも、一泊して語り合う予定らしい。
友達に不参加の気持ちを伝えると、では明日、美都温泉に行ってみない? 都合はどう? と誘われた。考えてみると、この友達とは暫く会っていないし、このところ、家にいる日が続いている。出かけてみようという気になった。昼食を共にして、温泉に浸って憩いのひと時を持とう、ということになった。
会う時間と場所を打ち合わせているときに、携帯電話の呼び出し音が鳴った。しんとした時間をひとり過ごしていることが多いのに、電話が重なるときには、時間帯まで同じになるとは……。
友達は、携帯に出るように勧めるので、一旦中断し、かけなおすことにした。
携帯の方は、近くに住む同級生の友達からだった。
今朝、早く歩いたんでしょう? と言う。いつもより遅かったのに、なぜ? と不審に思っていると、R君(やはり同級生)から聞いた、と。そういえば、散歩からの帰り、バイクに乗ったRさんに出会ったのだった。(九時近くだから、決して早い時間だったわけではないけれど)
電話の友達は、私が歩いていることを知って安心し、鶯の声を聞いたかと尋ねた。
散歩を再開して三日、<道中、鶯の鳴き声は散歩の道ずれだ>と答えた。
「そんなに鳴いている?」
と、友達は不思議そうだった。近年、難聴気味な友達は、さらに聞こえが悪くなったのかもしれない。私のひとことが、友達に自信をなくさせたのではないかと、一瞬、気になった。
が、友達はこだわる様子もなく、話題を換え、
「ツバメが、来たよ」
と、教えてくれた。家の周囲をしきりに飛んでいる、巣作りの場所を探しているのだろう、と。
友達は鶯のことより、ツバメ飛来の、季節の便りを届けたかったに違いない。
その話を聞きながら、春のあゆみは遅々としているようでも、本格的な春へと確実に移ろいつつあることを思った。
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