ぶらぶら人生

心の呟き

2010年を迎えて

2010-01-01 | 身辺雑記
 寒冷のお正月となった。
 少しばかり新たな気分で、新年を無事迎えられたことに、感謝の気持ちを抱いた。

 これまでの歳月を考えると、瞬く間に過ぎ去ったように思える。
 けれども、2010年の元日の朝は、少し異なる感慨を覚えた。これからの365日は結構長く、大変な日々に思えるのでだった。私の今が、必然的に襲い来る老いを自覚せざるを得ない情況にあるからであろう。
 しかし、なるようにしかならない。
 自らの老いを観察しながら、ろくでない日々を楽しむくらいの心構えで生きてゆくしかない……。

 老いの日々に遭遇する出来事は、すべて新しいことばかりである。
 何が私を喜ばせ、何が私を悲しませるか、見当もつかない。
 けれど、それは誰にとっても似たようなものだろう。
 悲喜こもごもが、人生というものなのだろうから。
 ただ、老境にある者には、残された日々が、そう多くないことだけは確実である。
 さて、どんな日々を生きることになるのか?
 絶対にしたいこと、絶対にしなければならないことがない、と言えばうそになるけれど、若い時のような切実感や情熱は乏しい。
 身に過ぎた夢をみていた時代もあった。
 才能が必ず花開く日が来る、と信じて。
 元来怠け者の私には、その夢と努力の日々は、そう長くは続かなかった。
 そして、怠け癖は、年々、ひどくなっている。
 

 夕方、ATさんが、松江の銘菓と銘茶を届けてくださった。
 暮れ色の玄関先で、お土産をいただき、年の初めのご挨拶をした。
 「ブログを読んでいますから…」と言われた。
 書かない日々が続くと、元気だろうかと案じてくださってもいるようだ。
 そんな人が他にもあるのかどうか、ブログの読者は不明である。

 価値の乏しいものを書き続けることに、どんな意味があるのだろうかと疑うことも多くなり、気力の萎えも手伝って、特に、昨年の後半は、カレンダーに空白の多いブログになってしまった。
 それでも、私の心の隙間を埋めてくれるものといえば、書くことと読むことぐらいしかないような気がする。
 弱りゆく頭でめぐらす思考は、ますますたわいなくなってゆくだろうけれど、今年も、可能な限り、ブログへの投稿を続けようと考えている。
 老いの身辺や心境を、共感をもって読んでくださる人があるかもしれないし…。
 書かないでいると、心に去来したものがたちまち消え去り、もったいない気もしている。
 

 今朝、屋根から滑り落ちかけた氷片が、自在な形で、気まぐれな日差しに光っているのを見た。(写真)
 大晦日に降った雪の名残りである。思いがけない贈り物のようで嬉しかった。
 日中は芳しくないお天気だったが、夜空は晴れて、お月様も眺められた。(写真)
 生きているからこそ眺められる光景に、ささやかな幸せを感じるお正月であった。 


          

          
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