4月28日、「日展」を観るため松江に行った。
久しぶりの好天。私が松江に行くときは、妙に宍道湖が不機嫌で、濁り水の波立っていることが多い。
この日は妹夫婦に会い、一緒に日展を観に行くことになっていた。まずは昼食を済ませてからという予定だったが、予約時間に少し間がある。そこで、食事処に車を置き、堀川端に出た。
今年は春らしい春の到来が遅かったが、ようやく川の水も、空も、春の色を帯びてきた。街路樹の花水木が紅色の花をつけている。
川を遊覧する舟が通り過ぎてゆく。
一昨年、昔、職場が一緒だった友人と四十年ぶりに再会し、二人で遊覧船に乗った。ふとその時のことを思い出し、彼女は元気だろうか、と一瞬思う。
今は、一年に一度、賀状で近況を報じあうだけの交わりが多くなり、思い出は濃いのに、疎遠になりがちな友人が多い。彼女もそのひとりだった。が、同じ県内に住んでいても、出雲と石見の隔たりがあり、機を逸すると生涯会えないままに終わるかもしれない、そんな思いから、出不精な彼女に声をかけ、私の方が松江に一泊して、彼女に会ったのだった。
あれからまた二年が過ぎている。私はその間、幾度も松江に出向いているが、彼女には会っていない。ホテルから電話したのは、昨年の暮れだったなと、どうでもいいことが胸をよぎった。
川面からの風のそよぎが、頬に心地よい。
回想から解き放たれて、後ろを振り向くと、向こう向きに歩いてゆく、後ろ姿の男のレリーフが眼に入った。私の訝しげな様子をみて、
「ラフカディオ・ハーンですよ」と、義弟。
「ラフカディオ・ハーンですよね」
その後ろ姿は、まさしくハーンだった。
こんなところで、小泉八雲に出逢うとは!
私たちのいる場所は、「カラコロ広場」というのだそうだ。
木橋だった頃の松江大橋を人が下駄で渡る、その時のカラコロとなる音を八雲は愛したという。
八雲でなくても、幼い頃の履物であった下駄には、私自身郷愁を覚えるし、その音は思い出しても、懐かしい響きだ。
「カラコロ広場」とは、いいネーミングだと思う。八雲が、日本的なものに心を引かれた一面を、下駄の音のカラコロという擬音語で表したところがいい。そういえば、松江には、「カラコロ工房」というのもあるようだ。
後ろ姿というものには、なんともいえぬ寂しさがある。別れを意識するからであろうか。ハーンは、両手に重そうな荷物を下げて、どこに向かうのだろう。松江から去るときの姿だろうか。いったい誰の作品なのだろう?
そのレリーフをデジカメに収めて帰ったものの、なんだか気になり、どんな謂れがあるのか妹に尋ねてみた。
妹は、松江市役所の観光振興課に電話で問い合わせてくれたようで、<船で同行したウェルドンの原画を元に、工事担当者が制作したもの>ということだけを知らせてくれた。ウェルドンについても、詳しいことは知らない。
像の右下のプレートには、 ラフカディオ・ハーンが次のように紹介されている。
「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850~1904)は、明治期の日本文化の魅力を「知られざる日本の面影」や「怪談」などの作品で世界に啓蒙した。松江では、英語教師として1年3ヵ月滞在し、この地で妻セツと知り合った。」と。
名前のみ知って、実を伴わないことが、私には実に多い。ラフカディオ・ハーンについてもそれがいえる。知っているのは、ごく常識的な知識に過ぎない。
高校の時、英語の副読本で、「怪談」を読んだ程度である。
それから、ハーンといえば横顔の肖像写真。
この度、後ろ姿のハーン像が加わった。
恥ずかしいほど浅薄な知識である。
1年3か月という短い期間ではあっても松江で過ごし、島根にゆかりのある人だから、もっと勉強すべきかもしれないが、したいことが無尽蔵にあって、なかなか手が届きそうにない。耳学問程度で我慢しておこう。
日展の各種部門の作品は、いつもの事ながら数が多く、個々の美との瞬間的な出会いを楽しむ程度に終わった。それはそれでいいと思っている。
作品を観終わって、宍道湖畔に出ると、西に傾きかけた日差しが、湖面に穏やかな色を注いでいた。
水のある風景はいい。いつもと同じ思いに浸った。
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