吉岡萬理さんの陶器の中から、私が選んだのは、窓辺に置かれていたシーサーである。
残生を考えては、ものを増やさないようにと思いながら、一方で、たとえ一日でも心豊かに生きることが大事、という思いもある。
(実に要領は悪いが、ものを捨てることも、日常の中で努めてはいる。
が、雑多な品物が多すぎて、少々処理をしても、片づいた感じにはならない。)
とにかく、目に留まったシーサーの二つ目を求めた。
最初のシーサーは、私を笑わせた。
哄笑ではなく、くすくす笑い。
傍に置けば、楽しいだろうな、と思った。
が、その隣で、「こちらこちら」と呼びかけているシーサーがいた。
口を閉じ、斜め上を凝視している。
「今、今こそが、大事でしょ!」
と、強固な意志を示している。
結局、私はこちらを選んだ。(下の写真)
これも、出会いというものであろう。
後姿 右横から見た姿 左横から見た姿
もう一つ、小型の<申のコップ「心は錦」と言うてます>を求めた。
申年生まれの妹にプレゼントしたら、面白がってもらえるかな? と思いつつ。
残生を考えては、ものを増やさないようにと思いながら、一方で、たとえ一日でも心豊かに生きることが大事、という思いもある。
(実に要領は悪いが、ものを捨てることも、日常の中で努めてはいる。
が、雑多な品物が多すぎて、少々処理をしても、片づいた感じにはならない。)
とにかく、目に留まったシーサーの二つ目を求めた。
最初のシーサーは、私を笑わせた。
哄笑ではなく、くすくす笑い。
傍に置けば、楽しいだろうな、と思った。
が、その隣で、「こちらこちら」と呼びかけているシーサーがいた。
口を閉じ、斜め上を凝視している。
「今、今こそが、大事でしょ!」
と、強固な意志を示している。
結局、私はこちらを選んだ。(下の写真)
これも、出会いというものであろう。
後姿 右横から見た姿 左横から見た姿
もう一つ、小型の<申のコップ「心は錦」と言うてます>を求めた。
申年生まれの妹にプレゼントしたら、面白がってもらえるかな? と思いつつ。
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