朝日新聞のコラム<折々のことば>(鷲田清一)を読んでいて、高知と当地(石見)の方言は、似ているのだな、と思った。
が、ニュアンスは、多少異なる面もあるようだ。
「高知あたりの言い回し」として、次の文が紹介されている。
〇〇さんが、ワリー言いよったが昨日ミテタと。
ワリーとミテタが方言である。
<ワリー>は、<悪い>の意。
<ミテタ>は、<なくなる>の意。<満たす>の古い言い方。
今の私自身は、上掲の二語を使うことはないが、後者については子ども時代、
<ノートがミテタ>といった遣い方をしていたように思う。
ノートのすべてのページを文字で埋め尽くした(満たした)、だから書くページがなくなったということになる。
が、ミテルを亡くなるという意味で遣うのは、耳にしたことがない。
高知の言い回しとしての<ミテル>とは、生き切ったということである。
なかなか味のある方言である。
私の<ミテル>日はいつ?
わからない故に、のんびりと生きている。
ただ、そう遠くない日であることは自覚しつつ…。
が、ニュアンスは、多少異なる面もあるようだ。
「高知あたりの言い回し」として、次の文が紹介されている。
〇〇さんが、ワリー言いよったが昨日ミテタと。
ワリーとミテタが方言である。
<ワリー>は、<悪い>の意。
<ミテタ>は、<なくなる>の意。<満たす>の古い言い方。
今の私自身は、上掲の二語を使うことはないが、後者については子ども時代、
<ノートがミテタ>といった遣い方をしていたように思う。
ノートのすべてのページを文字で埋め尽くした(満たした)、だから書くページがなくなったということになる。
が、ミテルを亡くなるという意味で遣うのは、耳にしたことがない。
高知の言い回しとしての<ミテル>とは、生き切ったということである。
なかなか味のある方言である。
私の<ミテル>日はいつ?
わからない故に、のんびりと生きている。
ただ、そう遠くない日であることは自覚しつつ…。
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