今日も、読書は洋間で。
コーヒーも洋間で。
読んだ本は、松尾亮太著『考えるナメクジ』。
ナメクジ研究の成果が記された本。
研究分野の広いこと!
ナメクジは、ただきみ悪いだけの動物ではない、と。
私が知らないだけで、動物は、それぞれ驚く能力を持っているらしい。
鳥類など、上手に巣作りをし、どうかすると人間顔負けの子育てもする。
ナメクジにも、不可知の能力があるというのだ。
最近、ナメクジを見かけない。ただ居るらしいことは、石蕗の大きな葉についた、這った跡を見れば分かる。
幾年前のことであったか、私は、裏口に置いていた履物に、ナメクジが潜んでいて、びっくり仰天させられたことがある。(かつてのブログにも書いたが、それがいつのことだったか探し出すのが難しい。)
足の裏(右足)に、得体の知れない感触の、ぬめっとした違和感を感じ、大声を発して、はきものをぽーんと宙に脱ぎ捨てた。
足裏のぬめりを洗い流すのは容易なことではなかった。想像を絶するぬるぬる感であった。
その不快な記憶を蘇らせながら読んだ本である。
ナメクジに限らず、諸動物は、私が想像する以上の能力をそれぞれに持っているのだろう。
研究者によって、不思議な世界を見せてもらった。
が、相変わらず、ナメクジを好きにはなれない。
☆☆☆☆☆☆☆
私がいつも感心するのは、庭に見事な巣を張り、中央にじっと身構えているクモたちである。
巣作りの協力者はいないのに、ひとりコツコツと見事な巣を作る。
下の写真は、今日も、巣の中央に鎮座している小型クモ。(2匹)
ナメクジや蜘蛛の巣を見ることもなくなってしまった都会暮らしがつまらなくもあります。
14日のブログですが、私も表紙の画像で、あっ、船越桂!!とわかりました。この方は彫刻家の船越保武の息子さんですね。静謐な作品を竹橋の近代美術館で見たことがあります。南木さんの作品の表紙絵になっていたのですね。
南木佳士の、私小説と言うのでしょうか、繊細な作家自身の体験を通したストーリーにはちょっと胸の痛むものがあります。が、同じくパニック障害など経験した身には、そこが魅力でもあります。先日読んだ『からだのままに』(これはエッセイでしたけれども)もそうでした。
死体も解剖も"慣れだ"と知り合いのドクターはおっしゃいますけれど。夜には読めないですよね。
それにしても、珈琲と読書三昧!この様なひと時が私も大好きです。
カップの絵柄がとても素敵ですね。色々なカップを楽しむ日常は魅力的。私もカップを変えてみましょう。何時もは大倉陶園の小薔薇の散ったカップです。幸田文愛用していたと知って以来、使ってきました。
今日も楽しく読ませていただきありがとうございました。
南木佳士さんの『からだのままに』も、読んでみたいと思います。
東京は、いつでも(今はコロナのために展示会も中止かと思いますが…)、名画に出会えていいですね。
私は、2018年の暮れに、<上野の森美術館>で、『フェルメール展』を観たのが最後で、その後は上京していません。
一年に最低二度は上京し、美術館巡りなど、楽しんできたのですが……。
趣味が似ているのかな? と思いつつ、いつも嬉しく、また楽しく、味のあるコメントを読ませていただいています。
ありがとうございます。