ぶらぶら人生

心の呟き

前田夕暮の歌

2006-04-25 | 身辺雑記

 岡井隆編「集成・昭和の短歌」(小学館)
 前田夕暮(1883~1951)<石本隆一選>より

 前田夕暮と聞けば、真っ先に思い浮かぶ歌は、
  向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
であり、次いで
  雪のうへに空がうつりてうす青しわがかなしみはしづかにぞ燃ゆ
  木の花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな 
などが、記憶から蘇る。その程度にしか理解していない歌人だった。
 したがって、歌集「水源地帯」昭和7年刊)から選ばれた、下記の歌に接した時は驚きだった。夕暮には、こんな歌もあったのかと。完全な口語自由律。歌の中に句読点があったりダッシュが用いられたり。それが今読むと、かえって新鮮であり、面白くも感じられたりしたのだが、夕暮は、後に再び定型に復帰し「耕土」 昭和21年刊)のような歌を詠まれたようだ。その径庭に驚嘆しながら、どんな時代に身をおき、どんな風潮の中で作歌活動がなされたかで、歌の趣も随分変わるものだと、改めて考えさせられた。私など、その歌人の一、二首を諳んじていて、それによって、その人の歌風を決め付けているようなところがあった。大間違いである。
 上記の歌は、前二首が大正3年刊行の「生くる日に」所収の歌、三首目は「収穫」に所収、明治42年作の歌。

放心した自分の横顔に、富士の反射がちかりと来る
自然がずんずん体のなかを通過す――山、山、山
だしぬけに空につきあがる富士。しんかんとして吾等はある
機体が傾くたび、きらりと光る空。真下に動揺する山、山、山
どの家もみな海の方へ向いてゐる、重苦しい曇天の川を背負つて
馬と人と一緒に棲んでゐるといふことが、ここでは余りに自然に感じられる
空にむかつて、一せいに大きく口をあいゐる岩燕の朱い咽喉をみた
濡馬の体からほかほかとたつ靄、生きもののまなざしのいとしさ

物量の乏しくはあれ開墾地ありしときけば行かまく思ふ
わが入らむ谷の奥がにかそかにもつづく路あり草あかりして
山独活の香にたつ朝の味噌汁のあたたかくして礼(いや)申すなり
山の秀にのこる日かげをみたりけり妻にもみよとわがいひしかも
どこもかしこも石塊(いしくれ)ばかりの痩地なれど墾せば親しその石塊も
時計あらねば時に制約さるるなし日暮るれば灯火(あかり)なき家に寝(ぬ)る
時計なき山の暮らしになれにけり起き臥しということの愛しき
秋草の匂ひをかぎて愁ひあり敗れし後はただに生くべし
敗戦のこの悲しみをわかつべき人さへあらず路ゆきにけり
枝豆をすこしばかりはとりしかど多くは兎にたべられにけり
野鼠の吾をうかがふ気配あり野鼠をさへ神は生かしむ
ほのぼのと藷のふけるをまちにつつ幼な心となりけり吾は

 
「耕土」の歌は、戦中戦後の、生活の不如意が、何の飾り気もなく歌われ、心に響くものがある。あるがままを受け入れる姿勢に、安堵さえ覚える。

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