15日に注文したCD『土の歌』は、翌16日に届いた。
CDは、『土の歌 佐藤真作品集』となっていて、大木惇夫作詞<混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」>の他に、やはり佐藤真作曲の2作品[尾崎左永子作詞「蔵王」と田中清光作詞「旅」]が含まれている。
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『忘れられた詩人の伝記 父・大木惇夫の軌跡』を読んで、大木惇夫は、随分沢山の<社歌>や<校歌>を作詞したことを知った。おそらく身過ぎのためもあったのだろう。その内容については全く知らないが、言葉の魔術師のような詩人の、融通無碍な感性や語彙力からすれば、それぞれの社風や校風に合った詩が生まれたことだろう。
CDの栞に、<混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』について>と題して、作曲家・佐藤真の文章が載っている。
<この作品は昭和37年日本ビクターの委嘱で作曲した。作詞の大木惇夫さんはビクター専属の詩人で、テーマの「土」はその年の宮中の歌会始の御題であるところによったものである。>
<詩人の大木惇夫さんは先年亡くなられたが、クリスチャンでいかにも詩人らしい人だった。この作品の打ち合わせの時も、いつも変わらぬポロシャツ姿でふらりとビクターに出掛けてこられたのがまぶたに浮かんでくる。そして自作の詩をわれわれに読んで聞かせたり説明を加えたり…。クリスチャンである詩人が「おお神よ…」などと朗読すると、不思議に新鮮な魅力ある言葉が活きてくるので驚いたものだ。「天地の怒り」の終わりの方で「…時計台がくずれる…」という箇所があるが、大木さんの説明では「時計台」は街の心臓であり、それが停止するというようなイメージで書いたのだということだった。身振り手振りと感情のこもった声で「時計台がくずれる…」とやられると、本当にそんな気がしてくるから素晴らしいものだ。>
と、ある。
ことさら長文を引用したのは、この文章の中には、伝記の中では感じられなかった大木惇夫の、生き生きと躍動する姿や自信に満ちた陽性な明るさを感じることができたからだ。
『土の歌』の作詞は、昭和37年とあるから、67歳。『キリスト詩伝』を執筆中であった。
伝記の筆者・宮田毬栄自身、「あとがき」に、
<…純粋詩を中心にした伝記が長くなりすぎたために、父の歌曲や合唱曲の部分省略せざるを得なかったことが心残りとなっている。忘れられた詩人はここではなおも生き延びているというのに。父が作詞した歌曲や合唱曲のうち、今も変わらずに歌いつがれているのが、混声合唱のためのカンタータ『土の歌』だろう。佐藤真氏による作曲は、思わず涙ぐんでしまうほどの傑作である。(以下、略。)>
と、記している。
伝記の表紙カバーに使われた写真は、大木惇夫の若き日の写真であろう。
私の好みではないけれど、美しい肖像写真である。
波乱に満ちた人生を想像することができかねるほど。
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伝記の中に、<父の長い白い指>の描写や正月に外から帰ってきた父(大木惇夫)の様子など、家族との関わりも描かれてはいるけれど、佐藤真の文章に見られるような躍如とした大木惇夫の描写はなかった。
『土の歌』について、周知の人は多いのだろう。
第1楽章:農夫と土・第2楽章:祖国の土・第3楽章:死の灰・第4楽章:もぐらもち・第5楽章:天地の怒り・第6楽章:地上の怒り・第7楽章:大地讃頌
私は初めて混声合唱曲を聴き、心打たれたのだった。
その歌詞の素晴らしさにも。
大木惇夫の魅力の一面に触れた思いである。
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