ぶらぶら人生

心の呟き

冬晴れの日

2011-01-23 | 身辺雑記
 昨日は、誕生日であった。
 78歳。
 よくぞまあ、だらだらと生きてきたものだ。
 妹や知己友人から、<おめでとう>を言われたが、内心そんなに嬉しくはない。
 余生が少なくなるばかり……。
 しかし、手足に不自由もなく、
 あるのは、成人病と失語症くらい。
 文句は言えない。

 ゆっくり歩もう。
 亀のごとく、牛のごとく。
 
 冬晴れの日も、雪の日も、
 あるがままを楽しんで。

 実は、誕生日の一日は、朝日新聞に出ていた<数独>を解くことに多くの時間を費やした。
 できないはずはない、と。
 完成はしたけれど、時間がかかりすぎた。
 集中力、根気力は、A級なり!
 ただし、計画性は、最低なり!

 裏庭の臘梅が、二つ三つほころんできた。

  
            空に夕月

        

        
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極寒日

2011-01-23 | 身辺雑記
 睦月は、とっぷりと寒さの中で過ごすことになった。
 庭が、二度も雪に覆われる冬は珍しい。
 近所の空き地に、土混じりの雪達磨が坐っていた。
 こんな光景を見るのも、幾年ぶりのことだろう?
 

          家の庭

              空き地の雪達磨


        県境の雪景色


        
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1月の庭 (寒冷の日)

2011-01-23 | 草花舎の四季
 この冬、二度目の寒波がやってきた。
 今朝は、海辺の里でも、-3℃。
 水道は凍らなかったが、お湯が出なかった。
 てっきり、ボイラーの故障だと思った。お湯が使えないのは難儀である。こんな寒い日に…と、ぼやく。不運にも、業者がお休みの日曜日である。点検や修理は、明日まで待たなくてはならない。

 (結局、翌朝、ひとりでにお湯が出始めた。ボイラーの配水管の凍結が原因と判明。一日の不便を凌ぐことで、問題は解決した。)

 お昼過ぎ、久々に草花舎に出かけた。
 母屋の水道菅が凍って、まだ水が出ない状況だとの話だった。
 来店のお客様からも、買い置きのペットポトルの水で歯磨きしたとのお話を聞いた。
 不便は、私だけではなかったようだ。
 私の場合は、水には不自由しなかっただけましである。
 雪国の厳しさに比べれば、文句も言えないが、栓をひねれば、水もお湯も自在に使える生活に慣れていると、急に原始に引き戻された感じだ。

 草花舎の屋根や庭にも、昨夜の雪が消え残っていた。

     

          

 室内の空間に、鬼火が揺れていた。
 無造作なオブジェが面白い。
 入り口と、室内の奥にも、飾られていた。

          

          

 二日前、Tちゃんから、<日本語訳>に目を通してほしいと頼まれていた。
 カレーライスをいただき、食後のデザートやコーヒーもいただいた後、その訳文を読ませてもらった。
 原文は、スーザンさんの文章で、2月の東京公演の折、配布される原稿である。
 フランス語の原稿はすでに完成し、その日本語訳をTちゃんが引き受けておられたのだった。
 
 詩的表現で綴られた、スーザンさんの日本や神楽舞への思いを、壊さずに訳すのは容易ではない。原文を知らない私は、そこに記されたスーザンさんの表現意図の説明を受けながら、Tちゃんの訳文について、私の気持ちを伝えることぐらいしかできない。
 Tちゃんとあれこれ言葉を交わす作業を通して、スーザンさんの思いが奈辺にあるかを知り得たし、改めて訳文の難しさを思い知るひと時であった。

 <追記> 翌日、Tちゃんからファックスが届いた。
 もう一度、改稿に目を通してほしいと、訳文が記してあった。
 ちょうど、郵便局へ出かける用があったので、草花舎に立ち寄った。
 コーヒーをいただきながら、昨日に続いて、表現を吟味した。

 果たして、Tちゃんのお役に立てたのかどうか?
 自国語で書く文章も、このところままならぬ思いである。

 入り口の花瓶に、水仙が活けてあった。
 今年は、まだ<水仙の里>へも行っていない。
 咲き遅れていた水仙が、近ごろ道野辺に増えてきた。
 暖かくなったら、唐音に行ってみよう。 

          
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