おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

ワンワンワンの日(特に意味なし)

2018-01-11 22:58:30 | Weblog
 例年通り紅白歌合戦を見ながら飲んだくれているうちに年を越し、今年もすでに11日が過ぎてしまった。ちなみに、タイトルに特に意味はない(子どもと一緒に見た先週の妖怪ウォッチからの連想)。
 2017年は、なんと4回も日本往復。もちろん仕事で世界中をもっと飛び回っている人はたくさんいるだろうが、私の中では年間日米往復回数の記録である。そして今年も、子どもの春休みにまた日本行きだ(たぶん夏休みにもまた行く)。実のところ、相続関係の事務的な用事があって行かねばならないので私一人で行ってもいいのだが、実家ならいざ知らず、一人でホテル暮らしというのはどうにも空しくてつまらないので、次は子どもを連れて行くことにした次第。子連れは子連れなりに行動が制限されるし面倒ではあるのだが、物は試し。初の、子どもと2人でホテル暮らしである。
 さて、日本に行ったからには、父にも面会する。去年は、3年半ぶりに孫の顔を見せる直前に母が亡くなってしまい、どうして春休みに無理をしてでも日本に行かなかったのかと、しても何も変わらない後悔を死ぬまでする羽目に陥った。そんなわけで、例えが適切かどうかは微妙だが「羮に懲りて膾を吹く」状態、父に過剰サービス(?)である。特にここんとこ5月は鬼門だから、その前に一度、父に孫の顔を見せないとね。2度あることは3度あるで、2016年5月祖母逝去、2017年5月母逝去、2018年5月父逝去なんてことになったら洒落にならないから。
 さんざん世話になった母には4年前を最後に孫の顔を見せられなかったというのに、大して世話にもなってないし好きでもない父には「過剰サービス」で、もし母が知ったらムッとしそうだし、自分でもなんだかジレンマなのだが仕方ない。他にどうしようもない。これ以上、後悔を増やさないための「自衛手段」である。
 その大して好きでもない父にしても、若い頃は随分と横柄で傲慢で自信過剰で、頭脳も肉体も人並み外れていたというのに今じゃ見る影もなく、昨日のことも思い出せない。(よせばいいのに何度も背骨の手術を受けた自業自得ではあるし、そのせいで母が疲弊して死期を早めたようなものなのだけれど)常に背中が痛くてどこにも出かけたくない。ただただ終の棲家で小さくなって残りの日々をやり過ごしている姿が哀れで気の毒で、あんまり邪険にもできない。
 ところで先日、父の後見人になっている司法書士が、父宛に届いた親族関係の年賀状をスキャンしてメールしてくれた(父は喪中ハガキとか、出してないんだろうね)。母方も成人してからも面識のある親戚は母の弟夫婦ぐらいしかないのだが、父方にいたってはこれまで父のきょうだいの安否すら知らなかったところ、年賀状を見て驚いた。ナント! 父(今年82才)の姉2人とも存命だった・・・! ちなみに父の妹も存命。
#それって実は、すっげー長命の家族じゃねぇの・・・???
 父の母は、父が子どもの頃に亡くなっている。父の父は、私が幼児の頃に亡くなっている。そんなことから、何となく私も母も父も、「母方=長命」「父方=短命」という思い込みがあったのだが、全然違うじゃん・・・。
 父が人工透析患者になった時には、やっぱ父は短命の家系なんだなんて思ったのに、奇跡のように20年以上も透析続けて問題なく生きてるし・・・。
 母が亡くなった際は、母の母が106才近くまで生きたことを引き合いに出して「(母は)私(=父)が死んでからも何十年も生きるんだろうと思ってたのに」と驚いていた父。父自身も「母方=長命」「父方=短命」という思い込みに支配されていたようだが、現実を見れば自分のきょうだいもこの年なのにまだ全員揃ってんじゃん・・・。確かに父の親の世代は短命だったようだけど、父の代はきょうだい揃ってすでに十分長命だよ。寝たきりとか植物状態とかの人は誰もいないようだし、少なくとも短命な家系では決してない。
#いやぁ~、思いっきり今さらだけど、驚いた・・・。
 母は・・・、いろいろ背負い込む性格的な問題だったり、運の悪さだったりで周りに寿命吸い取られて、親族の中で母だけが妙に早く逝ってしまったんだねぇ・・・。
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