おねえちゃんの独り言

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(・・・って、そのまんまだけど)

クラスメートの死

2007-06-29 07:42:54 | Weblog
 いくら平和な国に暮らしていても、この年になるまでにはすでに何回かの同年代の死に遭遇している。ニューヨークの友人が数年間ガンと闘った末、3年ほど前に亡くなった時は悲しかったが、最後に会うことができたし、本人も周囲も心の準備はできていたと思う。10年以上前になるか、30そこそこだった先輩が生まれたばかりの子を残して、ある朝、永遠に目覚めなかった話を聞いた時、数年前、中学時代の友人の夫で何度か会ったことのある方が通勤途中の交通事故から意識が戻らぬまま亡くなった話を聞いた時、ショックはより大きかったような気がする。後者の彼にも3人の幼い子どもがいた。お別れを言うこともできず、どれほど心残りだったことか。家族にしても、なんの心の準備もないままに愛する人が消えてしまった悲しみは、想像するに余りある。
 先日、高校時代のクラスメートのA君が亡くなったという知らせをもらった。いわゆる突然死で、解剖しても死因は分からなかったそうである。まさか本人もそんなことになるとは夢にも思っていなかっただろう。さぞや無念だっただろうと思う。
 A君とは、卒業してから会った記憶がない。クラス会などで会っているのかもしれないが、覚えていない。もし会っていたとしたら、きっと印象があまり変わらなかったから覚えていないのだろう。そんなわけで、訃報を聞いて以来、私の頭の中には高校時代そのままのA君の姿が浮かんでは消えている。長身で、なんだかいつも苦笑いをしているような印象の顔立ちだった。
 もちろん悲しいには違いないのだが、それ以上に懐かしいような、なんだか甘酸っぱいような、何(十?)年も忘れていた遠い昔の青くさい記憶が急に蘇ってきて、頭を離れない。
 あれは確か、高校3年の春だったと思う。A君に「話があるから、ちょっと付き合って」と言われ、昼休みだったか放課後だったか、A君と一緒に学校の近くを歩いていた。A君はいきなり「俺ね、ある女の人から好きだって言われたの」と言った。私はすぐには意味が分からず、おそらくきょとんとしてA君の顔を見たのだろう。A君は、ほんのちょっとだけ、本当に少しだけイラ立った口調で、しかし淡々と言った。「だからね、それについてお前がどう思うか、って、聞いてるの」
 私はようやく意味が分かった。それは実に遠回しな、A君からの愛の告白だったのだ。そして私は「他に好きな人がいるから」と答えた。春のやわらかい日差しの中、茗荷谷の駅近く、おそらく春日通りあたりをぶらぶら歩きながら、そんな会話をしたのだと思う。私の返事を聞くと、A君はこれまた実にあっさり「あっそう。じゃあね」と言って去って行った。
 その後A君とは、お互い何事もなかったかのように普通のクラスメートとしてつき合った。当時の私にとって特に大きなできごとではなかったし、このことを親しい友人などに話した記憶もあまりない。だから、この話が第三者の知るところになるのは、もしかするとこれが初めてなのかもしれない。
 A君の訃報に接して以来、この春の日の情景と高校時代のA君の顔が、当時流行っていた中森明菜の曲と一緒に、何度も何度も頭の中に浮かんでは消えている。

 A君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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