おねえちゃんの独り言

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(・・・って、そのまんまだけど)

祖母の一周忌

2017-05-29 21:17:50 | Weblog
 今日は祖母の一周忌である。こちらはまだ29日だが、日本ではすでに5月30日だから、一周忌。それにしても、まさか祖母の一周忌を待たずして母が亡くなるとは、夢にも思わなかった。きっと本人だって、祖母の納骨や合同慰霊祭の前に自分が死んでしまうなんて、夢にも思っていなかった。6月に日本に来たついでに祖母のお墓参りをしてくれたら祖母も喜ぶだろうと思う、なんて少し前のメールに書いていた(実際には、母がこのメールを書いた時から状況が変わり、納骨は分からないが合同慰霊祭は10月のようだ。納骨の場所も当初思っていた三鷹ではなく、八王子のお寺になったので、お参りするのもなかなか大変である)。
 本当に人生というのは、分からないものである。
 当初に比べれば随分と落ち着いて、ことあるごとに涙がこぼれるような心理状態ではなくなったものの、やはり「どうして?」「なんで?」という言葉が頭の中をぐるぐるしていることに変わりはない。そもそも正確な死因も分からず仕舞いだし、具合が悪くなってから亡くなるまでに数日の間があったようなのにどうして自分で救急車を呼ばなかったのかも謎だ。なによりも、どうしてあと3週間、子どもの学校が夏休みに入って遊びに行くまで、待っていてくれなかったのか・・・。このことは、私が死ぬまでずっと思い続ける。悔やみ続ける。
 祖母は亡くなる前日から突然様子がおかしくなり、間もなく死ぬことを悟ったように急に母に会いたがったそうである。どうして母は、私を呼んでくれなかったのか。そりゃベタベタ仲良しの親子じゃなかったけど、祖母と母の関係に比べたら、私と母の関係のほうがまだ良かった・・・なんて、実は私の勝手な思い込みだったのか。
 魂になってでも、どうして会いに来てくれないのか、どうして知らせてくれなかったのか。確かに胸騒ぎはしていたが、それはあくまで、しばらくメールの返信が来ないという状況からの判断である。高校三年生の時に祖父が亡くなった時だって、死亡推定時刻に私はふと目覚めた。ちゃんと知らせてくれた。亡くなった数日後にも、「(私が)泣いてばっかりいるから」と、ちゃんと会いに来てくれた。例え魂になってでも、アメリカは遠すぎる? 遅くなっちゃったけど、それでも精一杯急いで実家に戻った後も、一向に会いに来てはくれなかった。やっぱり怒っているのか。それとも、早々に地上から消えてしまったのか。あまりにも予想外で、自分でも自分が亡くなるとは夢にも思っていなかったから、会いに行こうと考えもしなかったのか。
 とりあえず今は、手先が器用で昔からいろいろなものを手作りしていた祖母が晩年に縫った人形を握りしめて、祖母の冥福を祈ろう。
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