脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Drasticであることは大事なことだ

2015-06-07 | Weblog

うちのクラブは女性が多い。なぜこんなに多いのかはわからないが最近では演技の部に興味を持った人たちもいて女性の部がかなり活発になってきたと思う。うちのクラブに来ている人たちのほとんどと言うかほぼ全員が健康維持やダイエットである。中にはボクシングに興味ない人もいてただそれでも堂々と権利を主張してトレーニングできるのがMOBである。わたし自身この群れを形成するうえでこころがけていることを3つのDにあてはめている。それぞれ「Drastic」「 Dogma 」「Double standerd」であるがこれらのことはクラブを運営する上で基本的な指針としている事柄である。

まず「Drastic」と言うのは思い切って何でもする。時には後ろを振り返らない決断も必要であるということだ。おそらく多くの日本人はこのことが苦手であると思う。私のことを日本人的でないと言う人がいるが、おそらく私はそういうことだと思っている。特にクラブを運営するにあたってこりゃあだめだと思うような人間は時には切る、しかしそれは個人の感情ではなくまわりにとってこのグループがいたら雰囲気をこわすとかクラブであまり目立たない存在がいやな思いをしたりトレーニングがやりにくいと言うような明らかにバランスをかくような自己中心的な奴こういう奴はやめてもらう、エラそうではあるがこれもここにきておとなしくトレーニングしている人たちの権利を守るためであり、そういう人たちも含めて誰でもいかなる目的であっても楽しく平等にトレーニングしてもらうためである。だからたかだかボクシングができるぐらいでえばるような奴は即刻やめてもらうようにしている。ここは社会人が集まる場であるのだからそういうことがこの群れのプライオリティではない、そういうことが少しでもあると群れのバランスがくずれてしまう、特に格闘技は目立ちたがり屋やいかにもやんちゃですというような人間が多いので、人にうらまれようが怒りをかおうがこの群れを健全に平等に運営するために正しい選択をすること、時にはドラスティックであることは大事なことだ。

「Dogma」と言うのは宗教用語で教理と言うこと。簡単に言えばどういう哲学で宇寧していることかということである。そのことについては何度も説明しているので詳しく書かないがMOBでは特に共同体がどうあるべきかということを考えて、群れの偏差値を上げ互いにいい影響を与えあうことができる共同体を目指している。

さらに「Double standerd」と言うのは多面的に物事を見るということ。これはある意味語学ができなければ難しいことだ。例えば子供にボクシングを競技としてさせることは正しいことかということは日本と欧米では全く立場が違う欧米ではボクシング廃止論を皮きりに子供にボクシングを競技させるなと言う論文が発表され、それらは結構あるので英語で検索したらたくさん出てくるのだがこういう見解ひとつにしても英語が読めなければ理解できない「double standerd」に立つということは英語が読めなくてはできないことである。私から見たら日本人の特にスポーツのコミュニティは非常に閉鎖的で滑稽である。おそらく「double standerd」と言う立場で物事が見れないから間違った日本の伝統に固執してしまうのだと思うのだが、将来のことを考えて競技者には勉強しろと言うことは必要なことである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイトの話

2015-06-03 | Weblog

when I was a college boy. 夏休み 1日だけのアルバイトを頼まれた。それは新しく建てたマンションにカーペットを持って行くバイトである。カーペットはその部屋ひとつひとつに敷かれるものであるからかなりの数がある。しかもマンションは15階建てぐらい、かなりの肉体労働で時間がかかることから最初は5人で作業する予定であった。3人集まったがあと二人は時間がたっても来ない、さらに10分待っても来なかったが、しかしそれでもバイトの親玉は仕方がないので始めようと作業の説明をした。話を聞いていくうちに「こりゃあ5人でもたいへんじゃないか」と一瞬逃げようかと言う思いがよぎりるが、親玉がじゃあこれ日当ねと金を置いてそそくさとかえる。金を置いていかれてはやるしかないと我々はしぶしぶと作業にとりかかった。実際作業をしてみるとかなりきついそりゃそうだ8畳分のカーペットをそれぞれの部屋に担いで運んでいくのだからもう昼過ぎにはへとへとに疲れ果てて、カーペットを担ぐが足元がふらつく、運んでもへらないカーペットにいらいらするし体力の限界を感じていた、あのおやじ逃げられないように金を置いていきやがってとたぶん周りも同じ気持であったであろう。それでもふらふらとカーペットを運んでいると警備員のおやじが近づいてきて「三本の足でふんばれー」とでかい声でからかう、一瞬沈黙があったが、たぶん元気があれば大笑いしているかじゃかましいおやじぐらいのことは言っていたかもしれない、しかしそういう気力もなく3人は「けっやってれっか」とただしかめっ面をするだけ、ただおやじにからかわれながらバイトを続けたが非常にしんどいバイトであった。私はよく学生に言う。肉体系のバイトを経験しろと。韓国人はそういう仕事をサンノムがする仕事と言って嫌うが、しかし本当にしんどい思いをして汗水流して労働することはいい経験になる。私自身も短期ではあったが工事現場の後片づけやイベント会場のセットをつくるバイトをしたが、思いっきり怒鳴られた。小さいセットではあったがこわしてしまったこともあるがその時はこれでもかと言うぐらいどなられた。そこにいけばおいバイトと名前はよんでもらえないし、ちょっとしたことでどなりつけられる、まあどなったり人をバイト呼ばわりすることは人権問題だから決してしてはならないことだが、しかしそんな主張は通らない、そこではただ仕事ができるかできないかできなかったら怒鳴られる単純な世界だ。ホワイトカラーの仕事はいいわけがゆるされる。中には俺メンタル弱いんですと自分の弱さを人権にかこつけて甘く見てもらおうというような考え方の奴も中にはいて、まじめで責任感のあるものにしわよせがいく世界であると言ってもいいかもしれない。農業とか肉体労働と言うのはある意味仕事の基本である。聖書にはアダムとイブが神にさからったために労働して何かを得なくてはいけなくなったと言っているが学生時代は体をつかって労働し、理不尽にどなられることも経験としては必要なことであろう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対人能力を身に着けるために

2015-06-01 | Weblog

ロバート ボルトンと言う心理学者の著書「people skils: how to assert yourself, listen to others and resolve conflict」がある。これは日本語訳もあると思う(がひょっとしたら品切れで買えないかも)対人能力を身に着けて人間関係を良好なものにするためにはどうしたら賢明であるかと言うことが書かれているが、ここで特に挙げられていることはとにかく相手の話を聞くことであるが、その話を聞くためには5つの事柄がその聞き手として話しやすくさせ問題解決につながることと言う意味で挙げられているが特に今日は3つの事柄を挙げて説明したい。

アテンディング

これはドクターのレジデント(研修医)の次の段階の名称として知られているがこの場合のアテンダントは注意していくということよく空港でアテンションプリーズ(注意して聞いてください)と言うアナウンスが流れるがまさにそれ、そしてそれはただちゅいしてと言うことだけではなく相手の話を聞いていますよと言う姿勢を見せることが重要であるらしい。

フォロイング

話しやすい状況をつくる。特にその場合アメリカ的であると思うが相手に対して興味があるようなしぐさをボディランゲージであらわして自然に話をさせるように持って行くことが重要らしい。これは私の意見であるが話しやすい状況をつくるために私が心がけているのはとにかく相手に対して偏見をもたない、恐れないということであるが、そのように対応したら結構しっかり話せる。

パラフレージング

これはどういうことかと言うと相手の言葉をわかりやすく言い換えることである。学校の教師が子供の主張をわかりやすく本人も納得できるように言い換えてあげることとよく似ているが、しかし言葉を置き換えるということは難しいことだ。まず何を言っているのか聞き取る能力が必要であるし、言葉を置き換えるとなると相手よりも言葉をよく理解していなくてはならないからだ。これに関して非常にいい訓練法がある。それはこまめに国語辞書をひくことである。国語辞書と言うのは物事を明解に説明している。実は私自身国語辞書をひきだしてから物事を説明するのがかなりうまくなった。これは口下手だという人にお勧めするが国語辞書をひくということは言葉と言うtoolにオイルを塗るようなもので円滑に言葉を表現できるための訓練である。特に子供を指導すう人間には常に辞書をもってあいまいな言葉があればひくことをお勧めする。

私の意見では心理学や哲学はHow to本のようなものを見てわかったような気になるのが一番危険だ。思いっきり難しい本を読んで自分なりに考えて悩み答えを見つける、そうすることでその知識が自分のものとなり、それは自分の言葉として存在する。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする