脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

純文学的な感情

2015-06-16 | Weblog

少し前の話であるがある方のところに捜査二課から電話があったと連絡をいただいた。どういうことで悪用されたかと言うことは書けないが話によるとその方の電話番号が勝手に不自然な形でどうやら不正目的で使われていた可能性が強いらしい。その方は非常に社会的にも信頼のある方でその電話番号の使われ方があまりにも不自然であったのでかなり不快な思いをしたらしく、その使われ方があまりにも意図的であったので一応被害届を出すことをすすめたのだが、その方いわくこういう不正はあいまいにはしない、捜査二課の人に事情を説明してもし犯罪につながっていたら誰が悪用したか(心あたりはあるらしいが)ということをはっきりさせると言っておられたので、もし人の電話番号を勝手に悪用して犯罪に使われていたならばしょっぴいて行かれる可能性もあるだろう。

先日受験英語にこういう文があった。I love you all the more for your fault.「欠点があるからこそあなたをもっと愛する」と言うようなニュアンスだと思うのだが、哲学的な話になるがこの文に西洋人のloveと言う観念がでていると思う。もともと西洋で言うloveと言うのは宗教的な意味合いが強くloveと言うのは神の愛を訳したもので、もともとギリシャ世界には愛と言う言葉が3つ存在するということを前に説明したと思う。ひとつはελοsそしてΦιλοsさらにαγαπηでこのαγαπηが究極の愛で一方的に与える愛日本語的に言うならば慈愛である。だから彼らがI love youという時その背景には神の慈愛がある。このI love you all the more for you.と言うのは神が自分をすべて受け入れてくれたのだから、自分も他者をそのように受け入れ愛するということである。

それにたいして韓国人のサランは時には遠慮のサランだ。こういう歌詞がある。サランヘヨ サランヘヨ クデマヌル。アプン ネ サライジョ。ギョッテ イッチマン ガジルスヌン オンヌサラン。クデマヌル タンシマヌル サランヘヨ。アップンサラン ッテムネ モンチョジジアナ。チャック ヌンムリナヨ サランヘヨ。 特にギョッテ イッチマン カジルスヌン オンヌサラン。クデマヌル タンシマヌル サランヘヨ。は日本語に訳すとそばにいるのに行くことができないサランだ、相手を傷つけたくない、そして相手を傷つけることで自分も傷つきたくないという遠慮があるのだろう、The more I tell saranheyo, the more sad I feel.そういえば言うほど相手は遠くに離れていく、そういう深みのある表現でそういう言い尽くせない感情やジレンマが時にはウオンやハンというかたちを通してあらわれるのだ。彼ら彼女らは人を愛する時にもある一定の遠慮がある。それは朝鮮王朝時代の身分や長い徴兵や結婚観の違いからくるのだろうか、日本人には理解できない遠慮がそこにはあると思う。最近であるが私は言葉や表現に民族の違いを感じる。言葉と民族と言うのはつながっている、韓国語のセリフや歌詞にじんどくる私は一体何者であろうか。

 

 

 

 

 


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