2月の中旬だがオリンピックのメダリストと個人的に会うこととなった。
日本人か外国人かは今あえて書かない、本人の了承を得たら名前を公表しようと思うが、かねてから韓国語が流暢で魅力のある人だったので、たいへん興味があったのだが、実はこの方も私の話しを聞いていて、私に興味を持ってくれているということで、お世話になっている人のはからいで、そっちに仕事で行くから食事でもごちそうしてやってくれやと言うことで、一緒に食事をすることになった。
さっきも言ったが私はこの人に非常に興味がある。
まず語学が堪能なこと、そして、思慮深さを持っているので、運動部のようなバカ騒ぎするような明るさではなく、そういう明るさが笑い顔にでてうて、一度話しをしてみたいとは思っていたのだが、まさかこんなかたちで会えるとは思っても見なかったが、会ったらいろいろと運動部のいじめや問題など、聞いた話しや体験したことなども交えて話し、そういうことにたいしてどういうことをしたらいいのかということを実際に聞いて、場合によっては協力してもらおうと言う気はある。
話しは変わるが最近ある親が子供にボクシングをさせたいと言うことで来た。
土曜日の2時頃ベルが鳴ったので出て行くと、金髪風の一見こわそうな人が立っている。
最初見てあかんと思ったが、それでも話しを聞きたいと言うので、ジムに通したが、やはり私の直感は正しかった。
よく観察しなければならないタイプだったので、誘導訊問していろいろ話をききだすと。子供にボクシングさせるのはケンカのアドヴァンテージ見たいに考えていて、ボクシングを習わすのは実践的だからで、思った以上に考え方はDQNであった。
結局あまりにも考え方が短絡的で、やるかやられるかの世界を強調するので、もうここまで言うんだったら「ナイフをもたせたほうがいいんじゃねえのか」と真面目に言ってやろうと思ったが、しかしそんなことを言ったら間違いなくなぐられるので、ここはこどもになぐりあいはさせないと言うとボクシングでなぐり合いをさせないのはおかしいと不思議がって帰って言ったが、トラウマやコンプレックスを持っている人間は言葉や行動など暴力的である。
最近子供を見ていて思うことは、争いごとをこのまない子供が増えて来ていると言うことである。
彼ら彼女らは自己肯定感がしっかりしているのか、小学生などにもマスボクシングで相手を思いきりうたせてやると言っても、ためらう子供がほとんどで、一昔前ならば学歴やその他でコンプレックスを持った人間がなにくそうと言う気持ちになってむかって行ったものだが、しかし今ではそういうコンプレックスを持った子供ばかりではなく、人を傷つけるなんてできないという子供が大多数ではないかと思っているが、そう言う子供が大多数の中、いつも追い詰めた状況をつくって、にげるなむかっていけと言うようにコンプレックスのうらがえしで競争心の煽るような発想はかなり危険なことである。
私は小中学生の時代に実際になぐりあいをさせるということに関しては医学的な問題とは別に、心の問題もあると思っている。
人をなぐると言うのは特別な行為である。その特別なことを小中学生の過渡期であり、心が敏感な時に人をなぐるなんてできないと言う気持ちがあるのに、それをあえてさせると言うことで何か得るものがあるのか?あるいは悪い影響はみられないのか?というある種の懸念がある。
おそらくそういうことをさせるのは、単なる勢いだけにすぎないと思っているが、こういう危険なことをよくわからないのにさせることは私はかなり非常識なことだと思っている。
まわりはかっこいいことを言ったり、がんばれなどと煽ってモティヴェーションを上げようとするが、しかしふたを開けて見れば無学な人間の集まり、はたして本当に子供のメンタル面やフィジカルな面の成長を考えているのだろうか?
医学的な見地や外国の情勢そういうことを踏まえたら、常識的になぐりあいなどさせるてはいけないと思うが、たぶんそういう集団は客観的に物事を考える訓練ができていないので、そういう常識で物事をとらえる能力はないと疑っている。
少し辛辣な意見であるが、今スポーツクラブでいろいろな人と接し、特に子供などを預かるのであれば、そういう子供のフィジカル面やメンタル面などの考えたら無学ではいけない時代である。
指導者もそういうことに十分に対応していくために、たくさんのことを学んで研鑽しなくてはいけない、そういう時代だと思っている。
うちのクラブの人間は外国語ができるとか、留学経験があるということを鼻にかけるわけではないが、広い世界に出た人や何かをしっかり学んだ人はコモンセンスもしっかりしていて、バランス感覚がある。そして話していて面白いしためになる。
実際にここのマネージャーは英語とドイツ語に堪能でよく、いろんなところから情報収集してくるのだが、多面的な目で物事を考えて、何が正しいかと言うことを判断できる訓練をしているので、バランス感覚はすぐれていて、言い方は軽いが、相談できる私の相棒と言ってもいいが、こういうアドヴァンテージが学問をしっかり学んだ人にはあると思う。
それに対して外の世界に出ようとしない、外国語も理解しようとしないし、本も読まないと言う人間は、この多様性の時代にはコモンセンスや常識と言うものを持って対応し、まとめていくことができない、所詮集まったところで仲間の集まりにすぎないと思っているが、繰り返し言うがこういう多様性の時代に、物事をしっかりと学ぼうとしない人間は信頼するには値しないだろう。
昔はADHDやアスペルガーの子供はただの問題児にかたづけられていたが、今ではそういうことを認めいろいろとケアの仕方が研究されているが、この多様性の時代は、そういうことも含めて子供のフィジカル面やメンタル面でのことをいろいろと理解していなくてはならないと思うが、そう言うことをはたして理解しているのか、そういう理解と言うのも今の世の中求められていると思うのだが、そういう理解はただ単にボクシングをしきただけでは分からないことである。
学がなければ通用しないと言うのは、そういう諸問題だけではなく、子供や青少年のフィジカル面やメンタル面をスポーツクラブが支え、かかわっていく必要もあるからで、ただ興味をそそってつなぎとめるだけでは学校の前でやる行商にすぎないのではないだろうか?
オリーヴは情や仲間意識でかたまるクラブではないので、バカなことを言ったり、常識的な判断ができなければまわりはついてはこない、そういう意味では社会的には安心できるコミュニティであると思っている。
日本人か外国人かは今あえて書かない、本人の了承を得たら名前を公表しようと思うが、かねてから韓国語が流暢で魅力のある人だったので、たいへん興味があったのだが、実はこの方も私の話しを聞いていて、私に興味を持ってくれているということで、お世話になっている人のはからいで、そっちに仕事で行くから食事でもごちそうしてやってくれやと言うことで、一緒に食事をすることになった。
さっきも言ったが私はこの人に非常に興味がある。
まず語学が堪能なこと、そして、思慮深さを持っているので、運動部のようなバカ騒ぎするような明るさではなく、そういう明るさが笑い顔にでてうて、一度話しをしてみたいとは思っていたのだが、まさかこんなかたちで会えるとは思っても見なかったが、会ったらいろいろと運動部のいじめや問題など、聞いた話しや体験したことなども交えて話し、そういうことにたいしてどういうことをしたらいいのかということを実際に聞いて、場合によっては協力してもらおうと言う気はある。
話しは変わるが最近ある親が子供にボクシングをさせたいと言うことで来た。
土曜日の2時頃ベルが鳴ったので出て行くと、金髪風の一見こわそうな人が立っている。
最初見てあかんと思ったが、それでも話しを聞きたいと言うので、ジムに通したが、やはり私の直感は正しかった。
よく観察しなければならないタイプだったので、誘導訊問していろいろ話をききだすと。子供にボクシングさせるのはケンカのアドヴァンテージ見たいに考えていて、ボクシングを習わすのは実践的だからで、思った以上に考え方はDQNであった。
結局あまりにも考え方が短絡的で、やるかやられるかの世界を強調するので、もうここまで言うんだったら「ナイフをもたせたほうがいいんじゃねえのか」と真面目に言ってやろうと思ったが、しかしそんなことを言ったら間違いなくなぐられるので、ここはこどもになぐりあいはさせないと言うとボクシングでなぐり合いをさせないのはおかしいと不思議がって帰って言ったが、トラウマやコンプレックスを持っている人間は言葉や行動など暴力的である。
最近子供を見ていて思うことは、争いごとをこのまない子供が増えて来ていると言うことである。
彼ら彼女らは自己肯定感がしっかりしているのか、小学生などにもマスボクシングで相手を思いきりうたせてやると言っても、ためらう子供がほとんどで、一昔前ならば学歴やその他でコンプレックスを持った人間がなにくそうと言う気持ちになってむかって行ったものだが、しかし今ではそういうコンプレックスを持った子供ばかりではなく、人を傷つけるなんてできないという子供が大多数ではないかと思っているが、そう言う子供が大多数の中、いつも追い詰めた状況をつくって、にげるなむかっていけと言うようにコンプレックスのうらがえしで競争心の煽るような発想はかなり危険なことである。
私は小中学生の時代に実際になぐりあいをさせるということに関しては医学的な問題とは別に、心の問題もあると思っている。
人をなぐると言うのは特別な行為である。その特別なことを小中学生の過渡期であり、心が敏感な時に人をなぐるなんてできないと言う気持ちがあるのに、それをあえてさせると言うことで何か得るものがあるのか?あるいは悪い影響はみられないのか?というある種の懸念がある。
おそらくそういうことをさせるのは、単なる勢いだけにすぎないと思っているが、こういう危険なことをよくわからないのにさせることは私はかなり非常識なことだと思っている。
まわりはかっこいいことを言ったり、がんばれなどと煽ってモティヴェーションを上げようとするが、しかしふたを開けて見れば無学な人間の集まり、はたして本当に子供のメンタル面やフィジカルな面の成長を考えているのだろうか?
医学的な見地や外国の情勢そういうことを踏まえたら、常識的になぐりあいなどさせるてはいけないと思うが、たぶんそういう集団は客観的に物事を考える訓練ができていないので、そういう常識で物事をとらえる能力はないと疑っている。
少し辛辣な意見であるが、今スポーツクラブでいろいろな人と接し、特に子供などを預かるのであれば、そういう子供のフィジカル面やメンタル面などの考えたら無学ではいけない時代である。
指導者もそういうことに十分に対応していくために、たくさんのことを学んで研鑽しなくてはいけない、そういう時代だと思っている。
うちのクラブの人間は外国語ができるとか、留学経験があるということを鼻にかけるわけではないが、広い世界に出た人や何かをしっかり学んだ人はコモンセンスもしっかりしていて、バランス感覚がある。そして話していて面白いしためになる。
実際にここのマネージャーは英語とドイツ語に堪能でよく、いろんなところから情報収集してくるのだが、多面的な目で物事を考えて、何が正しいかと言うことを判断できる訓練をしているので、バランス感覚はすぐれていて、言い方は軽いが、相談できる私の相棒と言ってもいいが、こういうアドヴァンテージが学問をしっかり学んだ人にはあると思う。
それに対して外の世界に出ようとしない、外国語も理解しようとしないし、本も読まないと言う人間は、この多様性の時代にはコモンセンスや常識と言うものを持って対応し、まとめていくことができない、所詮集まったところで仲間の集まりにすぎないと思っているが、繰り返し言うがこういう多様性の時代に、物事をしっかりと学ぼうとしない人間は信頼するには値しないだろう。
昔はADHDやアスペルガーの子供はただの問題児にかたづけられていたが、今ではそういうことを認めいろいろとケアの仕方が研究されているが、この多様性の時代は、そういうことも含めて子供のフィジカル面やメンタル面でのことをいろいろと理解していなくてはならないと思うが、そう言うことをはたして理解しているのか、そういう理解と言うのも今の世の中求められていると思うのだが、そういう理解はただ単にボクシングをしきただけでは分からないことである。
学がなければ通用しないと言うのは、そういう諸問題だけではなく、子供や青少年のフィジカル面やメンタル面をスポーツクラブが支え、かかわっていく必要もあるからで、ただ興味をそそってつなぎとめるだけでは学校の前でやる行商にすぎないのではないだろうか?
オリーヴは情や仲間意識でかたまるクラブではないので、バカなことを言ったり、常識的な判断ができなければまわりはついてはこない、そういう意味では社会的には安心できるコミュニティであると思っている。