脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Psych yourself up!

2018-12-06 | Weblog

うちのせがれがたるんでいる時に言う言葉がある。それは「韓国軍に1週間体験入門させるぞ」だ。なさけないことをしたり言ったら「お前そんなことをやってたらボコボコにいかれんぞ」と言う。もちろんそんなことはできないが友達に頼んで特別許可がもらえると言っている。最近の若い男性ははおとなしい、どうおとなしいかというと草食系男子と言う言葉があるようにがつがつしていない、うたれ弱い人間が多いように思う。こういことを書けば少し勘違いのもとになるが、最近のスポーツはどちらかと言えばゲーム的であるように思う。特にボクシングはルールも厳しくなってきたのでそう言えるが、しかしスポーツとは言えどそれは勝負事、もっともっと闘志をむき出しにしてもいいと思う。

最近の若い人はたぶんボコボコに行かれると言う経験をしたことがない。ボコボコにされると言うのは暴力的なことではなく、実力差がある人間と本気でむきあって圧倒されてみじめな思いをするということであるが、このみじめな思いをしたくないというのが本音ではないだろうか。前にやめた若い人が言っていた。自分はまけずぎらいでまけたくないから試合はしないマスでもうまい人がいて勝てないからやめたそうだ。まあ続ける続けないは本人の自由であるが、しかしそういう理由で試合に出なかったり、ボクシングをやめると言うのはよくわからない。スポーツで得ることができる最も大きなものはファイティングスピリットだ。それは自分よりも強い相手や大きなものに向かって行くからこそ養えるスピリットである。ハワイのボクシングはそれこそいろいろな目的でボクシングをしててみんな自由であるが、しかし試合は結構シビアであったと思う。自慢ではないが私などは自分と同じぐらいの階級で強そうな相手がいたら、あいつは絶対にやっつけてやると虎視眈々とその機会を狙っていたものだ。しかし強い人間は強いスパーリングをしても全く相手にならないことに結構くやしい思いをしたものである。これは男性特有の性質かもしれないが、競技者はボコボコに行かれることで学ぶことが多い。そしてそういう大きな相手に闘志むき出しでかかって行くからこそ逆転劇があったりとそこにドラマが生まれる。今は天才天才と才能ばかりに目が言っているよな気がするが、しかし凡才が天才にまさるためにはこの闘志が必要だと思うのだが、最近のスポーツは初めに才能ありきの世界でそういう闘志むき出しで来る競技者が少なくなっているような気がしている。私などはくやしい思いをした時、ハーフジャパニーズかかってこいと頭の中で声が聞こえて「son of bitch」と唇が勝手に動いたものである。たぶん相手もagain!(かかってこい)なんて思っていたのだろう。しかしどんなに闘志をむき出しにしても私の実力はしょぼかったのでとどかったようだが、けれども自分で言うのも何だが強くなりたい絶対にやってやると言う気持ちが自分のボクシング人生を支えたのだと思う。でなければ才能などない私など決してやっていくことはできなかったであろう。私は競技人生の中でson of a bitch的なことを一番言ったであろうが悔しかった思い出のほうが多かったように思える。けれどもそういう闘志をむき出しにすることで思い切りぶっかっていけたし、満足がいく競技人生が歩めたと思う。

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