脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ひとりでいい場所

2016-06-03 | Weblog

うちの近所にヒスパニック系の人がいる。この前スーパーの前で会った時に紹介したい人がいると言って外国人の人を紹介された。その外国人の人に「I can speak english」と言ったら英語で話してきたので英語で話していたのだが、しかしそのヒスパニック系の人が英語がわからない。我々の会話がよくわからないので日本語でその外国人に「彼は何を言っているのだ?」と聞いていたが、日本人らしき人間が英語を話してヒスパニック系の人が外国人に説明を求める様子は非常に滑稽であったと思う。

今から書くことはあくまで昔の若い時の私であると言うことを注意して読んでほしいのだが、このブログは脱あしたのジョーである。題名の通り私はあまりあしたのジョーと言うアニメは好きではない。どちらかといえばかなり否定的であるが、昔在日韓国人の女の子にジョーとかぶると言われたことがある。どうかぶるのかと言えばまず自由人であること、そして徹底して協調性がない、絶対に群れないと言うようなところらしい。私は本能的にどうかたまっていいのかわからない、仲良くしましょうなんていう言葉はF○ck youに等しいぐらいに思っていたが、仲間と言う言葉が大嫌いだし、数でいくやり方は本当に卑怯だと思っているが、たぶんそういうところがかぶるのだろう。その時その女の子に「そういうとこかっこいいんとちゃうの」と言われて思わず赤面してしまった。ジョーは徹底して自由人である。社会を敵対し孤独であるそのジョーがボクシングと言うスポーツに魅了され、そして最後はあの名言である真っ白な灰になってキャンバスにちっていくのであるが、ボクシングと言うスポーツは我々自由人にとって非常に魅力のあるスポーツである。キャンバスで動いている時は何もかもをわすれることができたし、何よりもあの場所は平等であったと思う。事実私はアメリカではマイノリティが生き生きと競技しているのを見て救われたことも事実であるが、キャンバスは社会的にハンデをもった人間、孤独で人と強調できない不器用な人間が思いっきり自分を表現できる場だ。社会ではいろいろなハンデがあって平等とは言えない扱いを受けるだろうが、しかしそこでは自分のすべてをぶつけていける。そういう場で自分の存在価値を見出すジョーの気持ちはわからないわけでもない。ハワイのキャンバスは自分のすべてをぶつけていける場であったと思う。マイノリティであろうがpovertyであろうが関係なくそこは平等である。何とか軍団とか権威主義のじいさんがいばっているわけでもなく、べらべらと仲間意識を強調するかのようなおしゃべりなどなかったが、私はそこで生まれてはじめて拘束されない自由と言うものを感じて心から楽しかったことは確かである。徹底して協調性のない人間が外国に行くのだから、当然そこには軋轢がある。当時はこいつだけはと言うのが何人かいて一応顔見知りなので試合で会うとすれ違いざまに顔を合わせて「うんっ」いうようなしぐさを見せるが、しかし内面は絶対こいつだけはぶちのめしてやるなどと思っていたし、向こうも思っていただろう。はたから見たら一体何なんだとさえ思うだろうが、しかし本当にすごくおもしろかったし充実していた。今までの最高の思い出であったと思う。自分は本当に群れるのがいや、数で行く奴は本当に卑怯だと思うし、仲間なんて言う言葉はfuck youだ。でもたぶんいごこちがよかったのはそこがひとりでいい場所だったからだと思う。

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