脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

精神的文化圏が違う

2016-05-30 | Weblog

ある黒人選手がうちのジムに来た。結構強い選手でスパーリングの相手を探している。お前やってみないかと言われ「いいよ」と二つ返事でOKした。スパーリングは私を含めて3人であったが、スパーリングはかなり手加減してくれると言うことでやってくれた。まずトップバッターであった私は手加減どころか返り討ちにしてやるぐらいのいきおいでいったが、しかしそいつはイーッといってうってくるのだが、そのジャブがはやくていたい。どういたいかというと30センチぐらいの間合いで直径30センチぐらいの石を直接ぶつけられているような感じ、あまりの重さに脳震盪をおこして1ラウンドがおわって千鳥足でコーナーにかえっていったが、はっきりいってしゃれにならないような状況であった。それでも何とか根性で2ラウンドのスパーをしたが、結局まともにスパーをしたのは私だけ、のこりの奴らは私よりも階級が重いのにからっきしダメだった、一人はパンチをもらってすぐにコーナーに戻ってきて、顔をひきつらせてなにか言っている。どうひきつらせていたかというのはわかりやすい例で言うとよく物まねで森進一の真似をする時のあの顔、たぶんもうあかんということであろう、その顔に思わずそんな顔するなよとはははっと笑ってしまったが、そしてさらにひとりはそれを見てダメだと判断して棄権、もう少しぐらい根性見せてみろよと思ったが合理主義とはこんなものだ。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学と言う本がある。この本の訳者は私のワイフの出身大学の人がやくしているのだが、東洋哲学を英語に訳すのは難しいと思う、なぜなら「気」とか「魂」のような概念的な言葉をひとことでは伝わらないし「義」や「仁」とと言う言葉なんかも英語には訳しにくい。原書を全体的にどう訳したのかと言うのは興味があるところであるが、この本の中で西洋哲学は封建主義が解体した後に自己実現に目標を置いた。即ち今までの自分たちのアイデンティティが宗教や君主などのどこにつながっているかということであったが、その制度が解体してそこから解放されて今度は自分は何者なのかどういう存在なのかと言うことを自分で考え自分の未来を自己実現できる。おそらくこれは実存主義のことを言っているのだと思うのだが、実存主義はおおげさに言えば世界とか人とのかかわりを無視して自己の考察に目を向けることで自己実現する哲学であるが、その考え方は特に実存主義に代表されるゼーレンキルケゴールなどの思想に見られると思う。しかしこれはごく狭い自己を基盤に未来を築いてしまうおそれがある。しかしそれに対して、東洋哲学はいかなる人間もたえず変化する存在でひとりびとりは様々な感情に対して変化する、東洋哲学は自然や人とのかかわりの中に自分を見出す哲学であると言っているのだが、この考え方は西洋と東洋の違いを表す意味では的を射ている。

私は根性論は好きではないがよく我々の世代は根性見せろと言う言葉を使う。今こんなことを言ったらなんて言うことを言うんだと言われるだろうが、しかし東洋人の言う「根性見せて見せてみい」と言うのはただの要求ではなく人と人とのつながりがある。どういうつながりかと言うのはいささか抽象的であるが、これはケースバイケースであるが、しかし少なくとも先輩などがそう言う時俺が見ていてやるぞ俺たちはつながっているんだというような人間関係をつなげるニュアンスのようなものがそこには存在すると思う。我々東洋人は人と人とのつながりを大事にする民族である。だから試合の時に誰かが応援してくれると力がわいてくるし、それに応えようとする。言葉を言いかえれば我々はそういう中で気を感じ受け取ることができるそういうスピリチュアルな民族である。犬がケンカをした時飼い主が見ていてくれた方が勝つとらしいが、東洋人にとって応援と言うのは一つの戦術である。まわりのみんなが自分のことを応援してくれてその気を感じ受け取り強くなっていく、そういう精神構造が東洋人の中には存在すると思う。応援団というのは品がないので好きではないが、しかしこういう存在は東洋文化であるから存在する理にかなった存在である。

何年か前に日韓共催のワールドカップがあったが、この時韓国がえげつない応援をしたということが問題になった。しかし多少やりすぎのように見えてもあれは我々の精神的文化で、東洋人は気を伝えて応援するのがが文化だと言えばいいだろう。まあ少々乱暴な言い方であるが東京オリンピックでも一致団結して応援したらいい、大韓民国ぐらい相手が恐怖を感じるぐらいに叫び倒せと思う。所詮西洋はフーリガンとか言って個人的に暴れる程度だ、たぶんこういう一致団結して人の応援をするなんていうことはできない。しかし我々はそういう精神的文化がある。そのアドバンテージを利用して右から左からとこれもひとつの戦術であると思う。

 

 

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