脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

エスノメソドロジー(会話分析)

2022-07-11 | Weblog
どういう人たちがMTオリーブフィットネスボクシングクラブに集まるかと言うのはコミュニティの課題と言ってもいいだろう。なぜならそのコミュニティの秩序や道徳、倫理はその集まった人たちの感覚によって決定されるからで、平等、平和で安心できるコミュニティはそこに集まっている集合体によってもたらされるからである。社会学の用語にエスノメソドロジーと言う言葉がある。英語で表記すると”hethnomethodology”であるが、”ethno”は一般の人びとや民衆を意味する言葉、そして”methodology”は方法論を意味する言葉で、エスノメソドロジーは民衆を知るための方法論と解釈してもいいと思う。医者にとって何々とは教師にとって何々とはと言う、その何々を人々の会話やその営みを調査し理解することで彼ら彼女らの社会の本質が見えると言うことだが、それはそれぞれの社会はそれぞれが持つ共通認識によって成り立っているともいえる。うちのクラブの人たちが考えている倫理とは何か、それは特に定義しなくてもひとりびとりの行動や会話から見えてくる。私が思うクズ行為はくわえたばこをして平気で歩く奴、うちのクラブの人たちはそういうことをしないが、時々ジムの前を煙を吐きながら歩いているやつがいるが、火のついたものを持ってぶらぶら歩くことでこどもにあたったらいけないと考えるのが普通の感覚である。しかしDQNはこんなことをしたら人に迷惑がかかると言う考え方が希薄なのだろう。私はコミュニティを管理することで問題にしているのは、あいさつができるとか、人にあわせて話ができるとか、そういうことではない。その生活様式から出てくる言葉や行動である。力を込めた時に出てくる多少乱暴な言葉はありがちであろうが、しかしその人そのものの性格や品性下劣さをあらわすような乱暴で下品な言葉、例えばケガをさせたりしたりするのは当たり前でそれがむしろ特別なことをやっているかのごとく自慢する。武勇伝なんかまさにそうだが、人間は考えていることは必ず言葉と行動に出る。こういう人間に実戦練習をさせると、カーッと来て敵意むき出しでなぐりかかって行ったり、実力差があるのにここぞとばかりに容赦なくなぐる、おらかかってこい的な実戦練習もそうだが、根本的に生きる世界がずれているやつは人に迷惑や危害をくわえる、実戦練習をさせたら相手に不快なけがを負わせることは目に見えている。その人間がどういう世界につながり、生きているかと言うのはその人の行動や言葉を聞いていたら理解できる。そういうところから人間の本質を見て判断しているのが私の管理法である。ジムでは絶対に暴力的なことや反社会的なことがおこってはいけない、おこらないようにつとめているが、それは一般の社会人がここに来たらそういう奴らに遠慮したり警戒することなく、堂々と自由にトレーニングしてもらえるためである。うちの会員の人たちはよき社会人であり、家族を大事にするよき父親や母親たちで、まじめに生きている人たちである。私はこういう人たちをなるべく大事にしたい、そのためにはズレた人間を排除することも時には必要なことであり、たかだかボクシングができるぐらいで大きな顔をさせないと言うのが私のポリシーである。手前味噌だが、うちのクラブは本当に平和である。おそらくそれは会員の人たちのおかげであり、彼ら彼女らの行動によって、ジムが平和でかつ健全に保たれているのだと思う。現に私はそのいい影響でずっと無事故無違反、極力社会の役に立つ行動を意識するようになったのは確かである。

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参考文献
前田泰樹・水川喜文・岡田光弘編 「エスノメソドロジー人々の実践から学ぶ」

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