正直言って私はどちらかと言えばオンチなので、あまり歌うことは好きではない。
時々アジア人の友人にいっしょに行こうとと誘われるのだが、あまり気乗りがしないので行かないと断っていたのだが、韓国人の女性に、そんなこと言ってたら暗くなると、半分拉致のようにピーターの車に押し込められて、カラオケクラブに連れて行かれた。
アジア人はこういう時は違う。個人主義の徹底しているアメリカ人だったら、行かないと言ったら、それ以上は誘うことはしないが、しかし協調性を重んじるアジア人は、友達に行かないといわれるとどこか傷つくようで、アメリカ系韓国人のジヨンもこういう気質であるから、誘ってもついてこない私に、何かさびしさを感じたのだろう。とにかく私がおごるから来いとひっぱっていかれた。そのカラオケクラブだが、今のカラオケボックスのように完全個室ではなく、一つのホールに客が集まり、リクエストした歌の順番を待って、その順番がきたらステージにでて行って歌うというシステムである。しかし実際行って驚いたのだが、そこは日本によくある温泉街のスナックのような場所ではなく、かなり大きい。大げさに言うと講堂のような大きさで、見渡すと大体100人以上の客やウエイターやウエイトレスみたいな人間がいる。歌う時その一番前のステージで歌うのだが、これはかなり度胸がいる。
席に通された瞬間あまりの人の多さにおじけづき「オレ絶対ここでは歌わない」と誓ったのだが、「今日はみんなホヨンの歌を聞きに来たんだから、しっかり歌ってね」と日本人のようなことを言われ、そこで拒むと厄介なことになるので、観念して適当に選んで歌った曲がだいぶ古い歌だが「夢の途中」である。
この曲を選んだ理由は、キーがそう高くなく、歌があまりうまくないオレでも大丈夫と踏んで選んだのだが、しかし以外にも盲点があった。
実はこの曲は違う歌手も歌っていて、そっちのほうが有名でかつキーが高いのであるが、ハワイのカラオケクラブにそんな気の利いた選択権はない、当然流れた曲はキーの高いほうで、結局私はキーについていけずか細い声になり、歌いきれず恥をさらしてしまったのである。
私はこの曲しか知らず、結局行くたびにこの曲ばかり歌うのだが、ある時ジウンがこう言ってきた。最初へたくそなのでこの詩の内容をじっくり聞こうとしなかったが、最近少しましになったのでその歌詞の内容をじっくりとらえて聞いているが、この歌詞は非常にいい歌詞で気に入ったのだという。特に「さよならはわかれの言葉ではない」というフレーズが好きだそうで、どことなく日本的であるというのだ。
だいぶ前朝鮮のドキュメンタリーがあって、その時子どもにインタヴューをしたのだが、そのインタヴューが終わって子どもが帰る時に、その取材陣に「ッアイチェン」といったことを覚えている。「ッアイチェン」は中国語でさようなら。漢字で書くと再会と書く。
北朝鮮ではさようならを中国語で言うのかと少し驚いたのだが、この中国語の言葉はアジア人の気持ちをあらわしていると思う。アジア人は個人主義が徹底している欧米に比べて、別れの受け取り方が違うと思う。よく映画やドラマの別れのシーンで走り去る列車にむけて、いつまでも手を振っているというのがあるが、別れはアジア人にとって特別な感情を持ってしまう言葉である。
この人とずっと一緒にいたいとか、はなれたくないと強く思うのは、アジア人の感情の持ち方で、それは年をとって死んでも、同じ墓に入りたいという「偕老同穴」という言葉にあらわれているが、独立心の強い欧米人に比べて、アジア人はそこまで他者との結びつきを考えて生きている。
ッアイチェンということばは、そういう別れを惜しんでの言葉であろう。
私が帰国をする日、ピーターとジオンが空港に見送りに着てくれた。確かジオンはメインランドの大学に編入、ピーターは留年、本人はもう少し勉強したいと言っていた。
そして帰り際に彼女が「手紙ちょうだいねっ、さようなら」の後に言ったのがトマンナヨ(また会おう)である。しかしその後、彼女とはソウルで一度あったきりで、それから一度も会ってはいない。ピーターと会った時に消息を聞いたが、たぶん今はアメリカ本土でビジネスパーソンとして活躍しているだろう。また彼女と会えるとは思っていない。
しかしこうしていっしょにカラオケクラブに行ったことや、たくさんのことを共有できたことは、私の楽しかった思い出である。
おそらく日本にいたらこういうアジア人の結びつきというものはわからなかったであろう。私はこの米国でより一層自分がアジア人であり、そのアジア人として生きているということをこのアジア人の友人たちを通して実感した。