うちの女子部は活発である。活発になったのはここ2年ぐらいであるが、去年はB級検定に二人合格その後続々と検定をうけて合格する人も出てきた。そして今回の4月には4名が検定を受けるのだが、うちの女子部はに非常に活発で、みんな楽しくトレーニングしている。その女子部を見ていて思うのだが、彼女らは非常にいい雰囲気の中でトレーニングをしている。雰囲気がと言ってもDQNレベルの雰囲気がいいではなくて、お互いを尊重しあって協力してトレーニングしていることから出てくる雰囲気であるが、うちの女子部はほぼ社会人なので運動クラブ的なのりで集まっていない。何か少しでもやった人間は自分たちのやったことの価値を上げるためにもったいぶってこれぐらいやらないとだめだなんて言うことを言うが、しかしそういうことは一切言わない。現にC級を合格した女性はダイエットの女性たちにも気軽に声をかけておしえてくれるのだが、こういう人たちがいるとダイエット目的の人たちも事実ここに来やすいし、楽しくボクシングができる。そしてそういう雰囲気がボクシングをやっているんだったら、私もやってみようという気になってまわりが盛り上がり活発になってくるのだと思う。さらに男性もその雰囲気を非常に大事にしてくれているのがわかる。うちのクラブには怒号をひびかせたり、威嚇したような雰囲気で独特のDQNオーラを出すような人間はいないし、裸でトレーニングなんて言うのはもってのほか、とにかくこの雰囲気をよくするように気をつかってくれることがよくわかる。ある意味うちで女性たちが活躍できるのは男性たちのおかげでもあると思っている。
私は米国のクラブと日本のクラブを知っているが、日本のクラブ的な共同体とアメリカのクラブ的な共同体を比べて、ここが日本のアドバンテージだと思うことは「教えあう」ことができることだ。日本人は個人主義のアメリカ人に比べて共同体を大事にする。うちのクラブでも女子部に見られるように自分が教えてもらった技術やおぼえた技術をおしみなく人に教えているのだが、しかしアメリカのクラブは徹底して競争社会なので、自分が努力してきた技術をたやすく人に教えることなんてありえない。そういう意味で日本人は共同体と言うものを大事にできる、そしてその共同体の中で影響を受けやすくそこで成長していく民族であると思う。
しかしその共同体も仲間程度の共同体ではだめだ。共同体をよくしたかったら、その雰囲気をつくること、うちではマイノリティは誰かと言うことを意識してそのマイノリティの目線に立って運営していくことをモットーとしているが、ボクシングで言うところのマイノリティは女性や子供、そういう人たちを顧みなければクラブにいい雰囲気は生まれないと思っている。うちではボランティアに関心があって毎年5万円ほどではあるがジムの方針で女性や子供を守る団体に協力しているのは、女性や子供をいたわるということが仲間程度のレベルではなくて、これは世界共通の当たり前のことなんだということをよく理解してもらうためであり、さらに言うならば少額ではあるが多少なりともそのために協力しているのは、自分たちがわずかな痛みをおうことが大事なことだからだ。おおげさにきこえるかもしれないが、そういう意識を持って、女性や子供たちを大事にするという意識を持つことも大事なことだと思う。さらに言葉も大事だ、言葉の質がひくかったらまともな人間があつまってこない。そういう人間が集まったところで、自分が考えているような理念を理解できるはずはない。ジムでは人にあわせて言葉を選び、英語などの語学を教えているのは、そういう雰囲気をつくるとある程度の知的レベルで話ができて理解してくれる人間が集まってくる、そしてクラブの雰囲気がよくなると思っているからだ。
日本のクラブでパワハラがおこるのは日本人は徹底した個人主義ではない、その群れやそのコミュニティがある意味その人の先を決定づける要素が高いので、あきらかにそれは親玉や制度の問題だ。本来はドキュメントなどを作成してそれを交付すべきであろうが、しかしそんなもの作ったところで親玉があほでそれしかできないアスリートが大多数を占めると意味がない。群れがサル化するとそういった公文書よりも親玉の言葉が大事だからだ。本当に大事なのは親玉も含めて教育、教養、知的レベルである。親玉はとくにこすい策略で子飼いをつくって群れを納めるのではなく、知性を持って群れをおさめる努力をする必要はあるだろう。
今日あげた曲は「Don't Let Me Down」日本語では「がっかりさせるな」かな。運動クラブはふたを開けたらパワハラみたいながっかりすることが多い、もう少し親玉のやっていることをクリアにして、ダメな奴はやめさせるか、教育したほうが賢明だ。